ヨコハマ ストーリー 第25回 「私の称名寺物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。
そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」今日は、『私の称名寺物語』
中世は湊町、江戸時代は観光地だった金沢八景は、中国の僧、心越が景観の素晴らしさから、その名を付けたと言われている。
八景の一つ、鐘の音の美しさから、称名晩鐘として知られている称名寺は、鎌倉時代、金沢北条氏の菩提寺として、北条実時が母の供養のため建立した寺院である。
1333年、鎌倉幕府が滅びると、称名寺は実時が建てた中国の書籍や古文書・絵画を納めた文庫、金沢文庫を受け継ぐことになった。以来、時代の風雪を乗りきり、1930年金沢文庫は神奈川県の重要な中世歴史博物館として再興された。そして1990年現在の場所に移り、運営されている。
私の知人の近藤さんから「おかげさまで娘が10月に入籍することになりました。式は来年5月です。」という知らせがあった。近藤さんは化粧品関係の仕事をしており15年程前、横浜でイベントの司会をした時に知り合い住まいが近くという縁で親しくなった。
10年前になると思うが、「娘が将来、小林さんのような仕事をしたい、と言っているのです。どうしたらいいのでしょうか。」という相談を受けた。そのことで3人で会ったのが称名寺の庭園だった。
蝉が、けたたましく鳴いていた真夏の称名寺の庭園は、緑に囲まれているとはいえ大変な暑さで、いたたまれずトンネルをくぐり、金沢文庫に逃げ込んで涼をとった事が頭をよぎった。どんなアドバイスをしたのか、すっかり忘れてしまった位、暑い夏の日だった。
「娘さんも私にお礼が言いたい」「私もお祝いを」ということで、三人でふたたび称名寺で会った。初秋の夕方とはいえ、台風の去った後で、猛烈な残暑の日だった。
私たちは以前と同じように金沢文庫に入った。ちょうど開館75周年記念の催し物企画展が開催されていて、昔の金沢八景の絵地図などを観賞する機会に恵まれた。帰り道、以前も3人で行った鰻屋さん「鰻松」で食事をした。この店のタレは明治時代の製法を今も受け継いでいるのがご自慢である。
話が一段落したところで、「あの時はいいアドバイスが出来なくてごめんなさい」と言うと、娘さんは、「アナウンサーを志したのですが、その道はあきらめ、裏方の仕事でがんばっています。今の方が私に合っていると思います。」と言ってくれたのでホっとした。お祝いに来年の式では「司会をやらせて」と私が言うと、びっくりしたような表情でとても喜んでくれた。
私たちは「鰻松」を出て、金沢八景駅へ向かった。駅前には猫のいる八百屋さん、八百春が昔のままあった。猫は野菜の間に座って、夕暮れの街をのんびり眺めていた。
今日の、『私の称名寺物語』いかがでしたか。出演、小林節子 脚本、浮田周男でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・