横浜・明日への提言(10)横浜府ミナト・ヨコハマ特別市
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
横浜が2年後に開港150周年を迎えるといっても、現在75歳の私が知らない開港後の歴史は半分にすぎない。千何百年もの歴史を持つ京都に比べたら、歴史も伝統もないに等しい。江戸・東京でさえ開府500年の歴史を持つ。裏返せば歴史が浅いことが横浜という街の個性であり、これからどのような伝統でもつくっていけるというよそにはない魅力でもある。
花のお江戸・東京流にいえば、横浜はこれからなのである。過去を振り返る以上に、将来に目を向けなければいけない段階にある。それなのに、「開港50周年では開港記念会館をつくった、開港100周年にはマリンタワーを建設した、開港150周年にはミナトに自由の女神像を建てたらどうか」という50年、100年前の発想のままでは進歩がないし、自由の女神像がイベントの目玉では全市的な盛り上がりは期待できそうもない。
しからば、どうすればよいか。
歴史が浅いというのは京都や城下町に比べての話である。ミナト・ヨコハマにはジャック、クィーン、キングと呼ばれる開港記念会館、横浜税関、県庁旧庁舎をはじめ、赤レンガ倉庫、黄土色のタイル壁の港湾関係のビル、街並みでいえば中華街、馬車道、日本大通り、山下公園、横浜公園を含めた関内、そして元町、伊勢佐木町などなど――歴史建造物や伝統ある街並みがたくさんある。街角に立つだけで目に見えない独特の風が吹く。
マイホームと東京を往復するだけで、「みなとみらい」と聞いても横浜のどこだかわからないような人が集まる出来立てのホヤホヤの街とは同日に論じられない。田園都市線沿線をはじめ、そういう新しい街に住む「横浜東京都民」に開港150周年を呼びかけ、議論を持ちかけても参加は望めそうにない。
しかし、370万都市横浜を「府」に昇格させ、いくつかの特別市に分割すると議論を吹っかけたら、どういうことになるだろうか。ミナト・ヨコハマを独立させて「横浜府ミナト・ヨコハマ特別市」にし、港湾総局を中核に行政を行い、スキンシップ・デモクラシーを確立する。ミナト・ヨコハマ特別市の行政範囲は「この指とまれ」で決める。
「嫌ならあとは自分たちで考えろ」
恐らく横浜府は結果として三つか四つの特別市に分かれるのではないか。
このくらい乱暴で爆弾的なテーマを突きつければ、部外者でいられる横浜市民はまず一人もいなくなるだろうし、賛否両論沸騰して開港150周年イベントの幕開けにふさわしい全市的な議論になるのは間違いない。
イベントをどう立ち上げるかを考えるのはそれからでも遅くはない。