ヨコハマ ストーリー 第4回 「私の野毛山公園物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。
そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」今日は、「私の野毛山公園物語」
横浜野毛の街から野毛坂を上り、横浜市立図書館の角を左に折れると、道の右手には木立に包まれた緑濃い一画がある。そこが野毛山公園だ。野毛山公園は日本庭園、西洋庭園、折衷庭園の三つ様式を持った公園として1926年(大正15年)に開園した。第二次大戦後、しばらく米軍に接収されていたが。1949年(昭和24年)日本庭園だった部分に動物園が、1951年(昭和26年)洋式庭園だった部分に児童遊園が造られ、整備を加えながら現在の野毛山公園になっている。
野毛山公園には、横浜にゆかりのある人の記念碑が3つある。まず入ってすぐの散策路の傍らに著名な女流俳人「中村汀女」の句碑がある。高浜虚子に師事したホトトギス派の中村汀女は、日常を題材にしながらも叙情性に富んだ句を詠んだ人として知られている。
中村汀女の句碑から歩を進めて、噴水のある広場の上側へと散策路を行くと、佐久間象山顕彰碑がある。幕末の松代藩士、佐久間象山は、横浜開港を推進した人物と言われ、開港百年を記念して1954年(昭和29年)この地に顕彰碑が建てられた。
佐久間象山顕彰碑の傍らを過ぎて道路に戻り、動物園入り口横から吊り橋を渡ると野毛山配水池がある。そこに「近代水道発祥の地」の記念碑としてヘンリー・スペンサー・パーマーの胸像がある。パーマーは水道創設の際、技術指導を行ったイギリス人で、横浜水道創設百周年を記念して1987年(昭和62年)に胸像が建てられた。
公園の開放的な雰囲気いっぱいのこの広場は、高台に位置している。周囲に視界が開けており、近くの展望台からは港方面の眺望が楽しめる絶好のロケーションである。今日、野毛山公園は市民のいこいの場所として、また観光の名所として多くの人々に愛されている。
私の実家は西区宮川町。「野毛山公園は我が家の庭のようなもの」と言ったら少し大げさだろうか・・・でも本当に近い。公園の広場にはよく遊びに行ったし、高台の展望台から、はるか遠くに船や大きなクレーンなど、港の風景を楽しんだものだ。
そして公園の外には二階建ての小さな放送局があった。それは1958年(昭和33年)に誕生したラジオステーションで、アメリカ軍のラジオ局WVTR現在のFENを意識した外国音楽が中心の放送局だった。
フランソワーズ、モレシャンさんのエレガントなフランス語には、遥かパリを感じ、ケン田島さんの格調高い英語にはイギリスやアメリカを感じたものだ。また流れてくるアメリカンポップス、ジャズ、カントリー、ハワイアン、シャンソン等、外国音楽の魅力にすっかり引き込まれてしまった。特に当時まだ誰も聴いたこともなく、全く知らなかった新しい音楽、ボサノバそしてモダンフォークミュージックを初めて耳にしたときの感動は大きく、当時の私の若い心を強く踊らせて止まなかった。
私は日本人で、しかも生粋のハマッ子だが「音楽の国籍はどちら」と問われれば、すぐさま「外国籍」と言いたいくらいすっかり洋楽ファンになっていた。
大学時代、私には音楽仲間と言ってもよい五人の友人がいた。私達は、年数回に集まり、野毛山公園に行っておしゃべりしたり、歌ったりするのがきまりのようになっていた。仲間のうちの一人浩君は、私達女性のアイドルだった。彼の足はスラッと長く背も高くスマート。当時流行していたアイビーファッションがよく似合っていた。さらに憧れの、マーティンのフォークギターを持っていて、これがとても上手。おまけに新しいモダンフォークも知っていたので人気を独占しても不思議ではなかった。浩君には「花はどこへ行った」等モダンフォークを教えてもらい、芝生の上でみんなで歌い、楽しい時間を過ごした。
そんな折、「花はどこへ行った」を作ったモダンフォークの神様的存在「ピートシーガー」が川崎でコンサートを行うという知らせが伝わってきた。私達は野毛山公園に集合してから聞きに行く事を約束していた。しかし約束の時間が過ぎても浩君は現れなかった。急病だった。みんなで一緒に行こうと決めていたので私達はコンサートをあきらめることにした。
それからまもなくして浩君は外国に旅立ってしまった。以来みんなで会うことはなくなったが、彼はアメリカで音楽関係の仕事をしていると友達が教えてくれた。
今でも野毛山公園のあたりを通ると、残念な一日もあったが、楽しかったたくさんのことを想い出す。しかし、もうあの時の歌声は聞こえてこない。さらに昔のラジオ局の跡は、アンテナらしきものだけが残され駐車場になっていて、昔胸を躍らせて聴いた音楽ももう聞こえこない。
ボブディランが「時代は変わる」と歌ったように、間違いなく時代は、しかもどんどん早く変わっていってしまう。でも私達に想い出を残してくれた野毛山公園はこれからも市民の憩いの場であってほしいと願う。私の心の中にも、あの時代のことと共にずっと生き続けていくのだから。
今日の、「私の野毛山公園物語」いかがでしたか。
ヨコハマの魅力と由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」出演、小林節子 脚本、浮田周男でお送りしました。
なお、野毛山公園へは、JR線「桜木町駅」から歩いて約15分。京急線「日の出町駅」から歩いて約10分です。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・