ヨコハマ ストーリー 第5回 「馬車道物語」
魅力あふれる街、ヨコハマ。この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時から、その歩みは始まりました。
そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。
そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」
今日は、「馬車道物語」
吉田橋から県立博物館に向かう馬車道は、明治期の洋風を模したガス灯などでレトロの印象が強い。この道は馬車が通った道で、居留外国人の要望で1867年3月に造られた。開港直後、馬車は外国人専用の乗り物だった。これを乗り合い馬車として企業化したのは、茶や絹などの貿易会社のコブ商会で、横浜と築地間に一日2回定期便を走らせた。
日本人が初めて乗合馬車の営業を開始したのは1869年で、わが国の写真業の祖といわれる下岡久之助らの成駒屋だった。成駒屋は吉田橋脇を発着所とした。二頭立て、定員6名の馬車は都橋を渡り、野毛山を超えて4時間かけて日本橋に向かった。1868年、馬車道の太田町にわが国最初の写真屋が、翌年、常磐町にわが国初のアイスクリーム屋が開業、そして1872年にガス灯がともり、馬車道は開け行く文明のシンボルになった。
友人の個展を観るために関内まできたので、昔、父がシェフをつとめるレストランがあった馬車道を歩いてみようと思った。幼い頃私は厨房に父を訪ねては、よく怒られた。何日も煮込んだシチューの香りを今もしっかりと覚えている。叱られてばかりだったのに、馬車道を歩くと胸の奥があたたかくなるのは何故だろう。
右手に見える「神奈川県立歴史博物館」。ドイツ・ルネッサンス様式の影響が強い本格的な石造り。その堂々とした風格は、まるで父の背中のように安心感を与えてくれる。
友人の絵は素晴らしかった。彼女は五十を過ぎてから本格的に絵画を学んだ。そのタッチは優しく繊細だった。海に浮かぶ船の絵があった。うねる海。小さな船は少し心細く見えたが、この船は必ず港にたどり着く。そう思わせる何かが伝わってきた。
父の店があったあたりに、小さな喫茶店があった。店内は山小屋を思わせるロッジ風のつくりで、低くモーツアルトが流れている。髭をたくわえエプロン姿の主人にコーヒーを注文した。
陽が傾きはじめていた。父のことを思い出した。そうだ、私は怒られてばかりではなかった。この道を私の手をひきながら歩く父は、笑っていた。その大きな手の感触がよみがえる。
ドアが開き、ベルが鳴った。振り向くと、そこに個展をひらいた友人がいた。
「あなたの姿がみえたものだから。個展、きてくれたのね。ありがとう」と微笑んだ。子供たちのことや昔のこと、いろいろな話をした。ふと、窓ガラス越しに家族連れが歩いているのが見えた。ああ、父が、友人と引き合わせてくれたんだなと思った。
ガス灯の灯が、優しく舗道を照らしていた。
今日の、「馬車道物語」いかがでしたか。出演、小林節子、構成、北阪昌人でお送りいたしました。また来週をお楽しみに・・・