横浜・明日への提言(99)笑いとユーモアのすすめ
代表取締役社長 藤木幸夫
(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
政治は世界の物笑い、経済は二番底の恐れ、自分自身はどうかというと、体力・気力・考える力が思うように働かない。昔の俺はこんなじゃなかったはずだと愕然とする日々。こんな毎日を送ったら身も心も病んでしまう。だから、これまでは奥に引込んだ感じの精神科医がマスコミの最前列に躍り出て堂々と意見する時代になった。その先鞭をつけたのが北杜夫のお兄さんで精神科医の斉藤茂太さんである。その人がこういうことをいっている。
「笑う以上の健康法はない。自分が他人を笑わせることはとても大事だ。」
確かに日本人みんなで心がけたら、世の中ずいぶん違ってくる。
小さいときからちやほや大事に育てられ苦労知らずに育った人のほうが気持ちにゆとりがあり感情も豊かで笑いやユーモアにも富むかというと、必ずしもそうではないらしい。ユーモアでいつもまわりを笑わせている人があそこで死んでもおかしくないという経験を百回もしてきたというのが実情のようだ。
そんな話を聞いて、私はレーガン大統領がピストルで撃たれて病院に担ぎ込まれたときのエピソードを思い出した。緊急入院、即手術という切迫した空気の中でレーガンが医師にいったそうだ。
「おまえは共和党員か」
「今日一日は共和党員になりましょう」
聞くほうも聞くほうなら答えるほうも答えるほうだ、アメリカという国のこれが強みかなあと感心したものである。
こうしてあらためて振り返ってみると、日本のものづくりが世界のトップを突っ走った時代は笑いとユーモアが国民に浸透していた。古今亭志ん朝が活躍した時代でもある。
「そんな人を驚かせるようなこというなよ。おまえの話は股ぐらから手を突っ込んで背中を掻くようなものだ」
うまいことをいうものだなあ、と感心しながら聞いたのを記憶する。
アメリカをうらやましがるどころじゃない。日本人がユーモアの塊で、日々、笑いが絶えなかった。では、暮らしが豊かだったかというと決してそんなことはなかった。ただ、どうしたら豊かになれるのだろうかという国民的命題があった。今日風にいい直せば国民共通のテーマである。
そうか、これだよ。今の日本に欠けているのは・・・。
気づいたのはよいが、かつて一流だった老登山家と同じで、どうすれば頂に登って無事に下りてこれるか経験でわかるのだが、自分ではもう登れない。登れても安全に自信がない。散々悩んで、それが自然なんだ、まだ若い人を応援する道があるじゃないかと気づいた。途端に私のユーモアの虫が蠢き始めた。