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2008年9月14日 (日)

横浜・明日への提言(58)トップにリーダーシップなきは犯罪

58

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 


 今回のタイトルを不穏と受けとめる人もいるかもしれないが、もしそうだとしたら勘弁してもらいたい。日本人の老いも若きも道徳をどこかに置き忘れた感じで、テレビを観ても、新聞を読んでも、人間がぶっ壊れてしまったのではないのか、これでいいのかと嘆くような出来事が次から次へ暴露される毎日だ。
 考えてみると、私たちが悔しがって歯ぎしりする以前に、日本の国をリードする政治家が、「こんなことじゃまずい、今の日本はなっちゃない、俺たちはこうする」ということをなぜいってくれないのか、そのことをまず不思議に思う。
 だから、田中角栄待望論が出てくる。
「そっちじゃない、こっちだ。ちゃんとこっち向け」
 田中角栄はどんなときでも、だれに対してもそれがいえる人だった。各省庁の仕事がすべて頭に入っていて、将来の見通しが確かだったから、官僚という官僚が田中角栄のいうことに逆らえなかったし、安心していうことを聞いた。進んで使い走りのような役でも買って出た。そういうシチュエーションにしたうえで、田中角栄は政治家に経験を積ませて育てるため有望株を一年交代で大臣にした。大臣は新米だけど田中角栄が後見しているから少しも支障は生じなかった。そういう政治の天才が一人でもいてくれたお陰であの時代の政治家は全体が光っていた。個人的な資質はどうかわからないが、全体が輝いて見えた。つまり、政治家個々の違いというよりリーダーの違いだったと思う。
 今の政治家はどうか。頭にあるのは国民のご機嫌をいかに取り結ぶかということが第一で、選挙に都合の悪い政策はすべて先送り。リーダーである総理から、「俺についてこい」という頼もしい言葉はついぞ聞かれない。政治家全体が輝きを失ってしまうのは当然だ。本人が悪いわけじゃない。しっかりしたリーダーがいないからそうなってしまう。
 大小を問わずどんな企業でも同じだ。集団の長に求められるのは気概だ。リーダーシップなどと横文字でいわなくてもよい。保身に走るから問題は先送りするしかなくなってしまう。俺についてこい。それで間違ったら、俺をクビにしろ。そういう攻めの姿勢がリーダーシップの根底になければならない。ここまでいえば、リーダーシップなきは犯罪という言葉が少しも過激でないとおわかりになろう。
 トップの地位に連綿と未練を抱かず、むしろ捨て身の気迫で他を引っ張っていく。そういうリーダーがいる場所は人間まで光る。そういう場所をすこしずつ増やしていく。それしかない。