赤レンガ倉庫
COOLSの1stアルバム『黒のロックンロール』。
後に自分も参加するCOOLS RCの母体となる初代COOLSのアルバムですが、
1975年当時、このジャケ写の舞台が新港埠頭の赤レンガ倉庫であったことは
知りませんでした。
16歳のときにこっそり忍び込んで当時のチームメイトと写真を撮ったことが
ありますが、この時もCOOLSのアルバムのジャケがこの場所であったとは
知らず、17歳でCOOLSのピッピさんからその話をきいてびっくり。
まったく灯台下暗しっつうわけです。
舘ひろしさん率いるバンドメンバーの8人(梅村光夫さんはすぐに脱退)
だけでなく、後方にはバイクチームのメンバーも写っていて、岩城滉一さんも
そこにいますが、今日は午後から赤レンガ倉庫で取材があるのでそこから久し
ぶりにCOOLSのことを思い出し、ウイキペディアで調べてみたら、そこに
ちゃんと俺の名前と記事も第三期COOLS RCってことで載っていました。
第3期 クールスRC
1981年10月、それまでスタッフだった横山剣と、同じくスタッフだった萩野知明
がそれぞれボーカルとベースで加入。村山一海とともにツインボーカルが復活。
バンド名も「クールスRC」とした。
アルバム『チェンジリングス』『クールスオールディズスペシャル』『ロックン
ロールジャンキー』『ロックンロールバイブル』『KINGS OF ROCK'NROLL』
を発表した後、1983年、 横山が脱退(作詞・作曲もこなす横山の加入により音楽
性が向上したが、レコード会社から「音楽性より、元の『舘ひろし時代』のような、
革ジャン・リーゼン トの不良ロックに戻せ」と言われ、「自分はバイクチーム
時代からのオリジナルメンバーではないし、自分の音楽を否定され、キング時代
に戻すなら自分が今の クールスにいる意味がなくなった」と感じたことが脱退の
原因。しかし横山はクールスのメンバーを尊敬しており、現在でもクールスの節目
節目の記念にはゲス トとして参加している。)。
ここで一旦活動を停止(解散ではない)。なお1982年7月9日、テレビドラマ
『ザ・ハングマンII』第6話「ヨガ秘術 しゃべる水死体」にメンバー全員でゲスト
出演している。
しかし、まぁ、当時23歳のくせに生意気なことしてすいません。
若気の至りと反省しています。
というわけで想い出の赤レンガ倉庫に行って来ます!!!
そして次に名誉館長(?)を務めるマリンタワーへ移動。
1階のレストラン「BUND」でクリームソーダと、
たらこクリーム・スパゲティを戴きました!!! 旨い!!!
夜のマリンタワーは映画「トロン:レガシー」のブルーに輝いていました。










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