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2010年6月

2010年6月30日 (水)

横浜・明日への提言(100) もう待てない、人をつくろう

100

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 心ある人は「ものづくりニッポンの復活」こそ国民が共有すべきテーマだというが、では、次代の担い手がいるかどうかということになると、どうなのだろうか。
 松下幸之助さん、井深大さん、本田宗一郎さんら創業世代が他界して、それらのリーダーを支えた団塊世代がリタイアしていって、年齢的には世代交代が行なわれた。その結果が今なのである。
 現世代の学歴の平均値は前世代よりずっと高い。それなのにノウハウのレベルが追いつけないのはどうしてか。
 ものづくりだけに分野を絞っても、そういう現象が起きている。では若い世代がどうかというと、どうしたら夢が持てるか、どのように生きたらよいのかわからない人がふえているという。
 事実だとしたら、世の中全体の責任である。
 若い頃の私は言葉に酔う傾向があった。たとえば「知ることは愛すること」という片言の言葉を聞いただけで、「そうだ、そうだ」と心にうなずいて胸を熱くしたものである。60をすぎても、アナトール・フランスの「もしも私が神様ならば青春を人生の終わりに持ってくるだろう」という言葉に深く感動させられたものである。それが実現したら不可能はかぎりなくなくなる。
 さらにいうと、知った物事に現実の裏づけがあった。パナソニックには松下さん、ソニーには井深さん、盛田昭夫さん、ホンダには本田さんがいたし、私が生涯の職場に選んだミナト・ヨコハマには藤木幸太郎がいた。私の手本はオヤジの藤木幸太郎だったし、世の中の若者のためには松下さん、井深さん、本田さん、などなど、そのまま生きた手本が綺羅星のごとくいた。
 極論すれば夢など持つまいとしても持たずにはいられなかったのである。知れば知るほど世の中を愛し身近な人々を愛さずにはいられなくなった。世の中に知るだけの意味があったからだ。情報手段は今とは格段に遅れていたが、世の中をあるがままに知らせてくれる機能はハイレベルだった。
 夢を持てない若い人がふえているということは、世の中そのものの意味が薄れているということなのだろう。原因はいろいろにいわれている。私もこういうことではないかという見方を持っている。しかし、病理学的見地から病巣を発見することより、臨床学的に特効薬を投薬して、せめても3年先にはこうしようという夢を語り、能力と意欲を持つ「人づくり」をするのが先決と考えて、早速、私は取り掛かることにした。できるかできないかではない。もう待てない、という気持ちがそうさせたのである。

2010年6月15日 (火)

横浜・明日への提言(99)笑いとユーモアのすすめ 

99

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政治は世界の物笑い、経済は二番底の恐れ、自分自身はどうかというと、体力・気力・考える力が思うように働かない。昔の俺はこんなじゃなかったはずだと愕然とする日々。こんな毎日を送ったら身も心も病んでしまう。だから、これまでは奥に引込んだ感じの精神科医がマスコミの最前列に躍り出て堂々と意見する時代になった。その先鞭をつけたのが北杜夫のお兄さんで精神科医の斉藤茂太さんである。その人がこういうことをいっている。
「笑う以上の健康法はない。自分が他人を笑わせることはとても大事だ。」
 確かに日本人みんなで心がけたら、世の中ずいぶん違ってくる。
 小さいときからちやほや大事に育てられ苦労知らずに育った人のほうが気持ちにゆとりがあり感情も豊かで笑いやユーモアにも富むかというと、必ずしもそうではないらしい。ユーモアでいつもまわりを笑わせている人があそこで死んでもおかしくないという経験を百回もしてきたというのが実情のようだ。
 そんな話を聞いて、私はレーガン大統領がピストルで撃たれて病院に担ぎ込まれたときのエピソードを思い出した。緊急入院、即手術という切迫した空気の中でレーガンが医師にいったそうだ。
「おまえは共和党員か」
「今日一日は共和党員になりましょう」
 聞くほうも聞くほうなら答えるほうも答えるほうだ、アメリカという国のこれが強みかなあと感心したものである。
 こうしてあらためて振り返ってみると、日本のものづくりが世界のトップを突っ走った時代は笑いとユーモアが国民に浸透していた。古今亭志ん朝が活躍した時代でもある。
「そんな人を驚かせるようなこというなよ。おまえの話は股ぐらから手を突っ込んで背中を掻くようなものだ」
 うまいことをいうものだなあ、と感心しながら聞いたのを記憶する。
 アメリカをうらやましがるどころじゃない。日本人がユーモアの塊で、日々、笑いが絶えなかった。では、暮らしが豊かだったかというと決してそんなことはなかった。ただ、どうしたら豊かになれるのだろうかという国民的命題があった。今日風にいい直せば国民共通のテーマである。
 そうか、これだよ。今の日本に欠けているのは・・・。
 気づいたのはよいが、かつて一流だった老登山家と同じで、どうすれば頂に登って無事に下りてこれるか経験でわかるのだが、自分ではもう登れない。登れても安全に自信がない。散々悩んで、それが自然なんだ、まだ若い人を応援する道があるじゃないかと気づいた。途端に私のユーモアの虫が蠢き始めた。