00_weblog_default_js

  • // JavaScript Document

fyb_switch_to_sp_js

2010年9月16日 (木)

横浜・明日への提言(104) 時代の気風を再構築しよう

104

横浜エフエム放送株式会社
取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器・薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 ミナト・ヨコハマの私の会社のことで恐縮だが・・・。
 酒井信太郎親方の名を出して、ああ、あの方とわかる人は少なくなった。私の親父の藤木幸太郎の名を覚えていてくれる人はさいわいなことにまだ大勢いるようだ。酒井信太郎親方が明治13年生まれの辰、私の親父が明治25年生まれの辰で、藤木企業の恩人と創業者はそろって辰年だ。
 コインを売る店の前を通ったりすると、なんとなく懐かしさを覚えて、私は中へ入って明治時代の古い一円銀貨を買う。酒井の親方が生まれた明治13年発行の一円銀貨があればどんなに高くても買う。親父が誕生した明治25年発行のものももちろんである。
 大きさは眼鏡のレンズくらいあって、ずっしりとした重みがある。そんなに高いものではないが、1万円はしたと思う。ところが、同じ銀貨、同一年発行でありながら値段が違うことがある。あれっという思いで店のオヤジの顔を見ると、オヤジが察しよく口を開いた。
 「銀貨をよく見てごらんなさい」
 見ると、安いほうの銀貨には四角い刻印がある。
 その刻印こそ台湾のお墓から出た証拠だという。当時、台湾や沖縄の人たちは住む家より大きなお墓をつくった。だれか亡くなると、埋葬するとき、故人にお金を持たせる習慣があった。当然、墓あらしが横行する。台湾を統治していた明治政府は盗掘を防ぐため埋銭を禁止した。それでも、埋銭・盗掘ともやまない。対策として、銀貨に刻印を打った。刻印のある一円銀貨が出まわれば盗掘品と一目瞭然である。それが売られているのだから、墓堀人はいたわけだし、安く売られるのは盗掘の量が膨大だったことを意味する。
 明治25年発行の一円銀貨には刻印がないものとあるものが揃っているが、親父はまさしく刻印のないほうの一円銀貨だった。明治人には私たち昭和生まれが持たない気骨があり、真似のできない威厳があった。その人だけが持つというより、時代の気風とでもいおうか、それが気骨のある人間を育て、そうでないものを淘汰したのだろう。
 今、時代の気風はどうなっているのか。第一、時代の気風といえるものがあるのかと考えて心細くなった。
 100回を目途に始めたブログをひとまず今回で閉じるに当たり、どうしたら時代の気風を取り戻せるのか、私なりに立ち止まって考えてみたい。
  長らくのご愛読ありがとうございました。

2010年8月31日 (火)

横浜・明日への提言(103) まだ65年だ、忘れてはならない

103

横浜エフエム放送株式会社
取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器・薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 去る8月半ばに80歳の誕生日を迎えた。この65年前の中学3年生は、激しかった米軍のじゅうたん爆撃の中で生き残り、軍国少年という精神衣装を剥ぎとられて、味も嗅いも知らなかったデモクラシィというコスチュームを無理矢理に着せられたあの日あの頃のことを、今更ながら想い返している。
 多勢の日本人が、あの戦争で死んでいった。中学の同級生も空襲のとき死んだ。地獄のような煙火の中を必死になって這いずりまわり、手をつないで逃げていたとき、彼だけが死んだ。
 平和というものは無い。
 人間社会のあるかぎり、争いは絶えない。現に地球儀の上で、規模の大小こそあれ、戦の絶えた瞬間がひとときでもあったろうか。
 3000余の種類を持つといわれる人間たちの言語のほとんどが、「平和」というコトバを持っていない。「戦争と戦争の間」という表現があるのみである。
 人が集まれば集団になり、国とか、民族とか、思想とか、欲望とか、正義とかがそれぞれ生まれてこれらのすべてが争いの火種になっている。だから「戦と戦の間」はあっても、「平和」は無いのだ。
 日本でも戦争が終わったのは65年前で、今後二度とないとはいいきれない。65年を「まだ65年」ととらえれば戦争と戦争の間という認識を持たねばならない。少なくとも「平和」は人から貰うものではない、ましてやひと任せや下請け依存で保てるものではない。デモクラシーというコスチュームだけで今の平和が維持できるだろうか。
 世界の趨勢を眺めればいつ「戦争と戦争の間」が終わりを告げてもおかしくない。そのときになって何が必要かに気づいたのでは遅い。平和と幸福は自らの努力でつくってこそ実感できるものだから、不断に試みられていなければならないのだ。努力しないでも今が平和で幸福なら、それは家族や友人が与えてくれているのだから、そこに感謝の気持ちが生まれなかったら、平和も幸福も自分のものにしようという気にならないだろうし意味は薄れる一方となろう。
 感謝という言葉はありふれて用いられるが、見つめなおして噛み締めると、意外に深い意味を持つことがわかる。敬い、へりくだり、感謝を述べる人の姿は美しく神々しくさえ映る。
 そして、「感謝を知る人間が争いを解決の手段に用いるはずがない」という言葉もある。

2010年7月31日 (土)

横浜・明日への提言(102)野戦病院の院長タイプのリーダー

102

横浜エフエム放送株式会社
取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器・薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 どの時代でも悩みを持たないことはないだろう。問題もたくさん抱えているはずだ。それらをどのようにして解決するか、大別すると二つあると思う。医学にたとえれば病理学的研究にウエイトを置いて解決の方向性を明示するやり方、もう一つはそういう理屈で考えることより、まず体が反応して臨床学的に取り組むやり方。昔の人は野戦病院の院長みたいなもので、その場その場で解決したり、手をさしのべる、いってみれば臨床学で、理屈で解決したり、言葉だけですませるのとはわけが違う。とにかく、手をさしのべるのが先で、理屈はあと。
「あれはやらなくてよかったかなあ」
 考えた結果、反省することもあると思う。
 だけれども、やったうえでの反省だから、必ず次につながっていく。トップなり、リーダーが、そうした経験則から見通しを得て、「こっちだ」と明快に行く先を明示した。
 決まったらやる。とにかく、動く。リーダーから末端まで迷いがなかった。こういう一丸は強い。失敗しても、ああ、そうかと学んで、もう、次の行動に移っていた。あらゆる産業分野の各個単位がそのようだったから、全体に集積されたときはものすごいエネルギーになった。ものづくりニッポンの強みがそこにあった。
 今はそうじゃない。一見、集合して一丸となっているように見えて、実は行列症候群という病理現象なのだそうだ。なぜ並ぶのかというと、行列に加わらないと世の中に乗り遅れると錯覚して、次第に行列が長く伸びるのだという。
 世の中のために働く立場にある人でも、病理学的な研究が先で、問題があっても受けつけないし、手をつけようともしない。これを先送り症候群という。最近の例でいうと、構造改革の後遺症で重体の患者を放りっぱなしにして検査ばかり繰り返して治療をしない。最悪なのが競争原理や市場第一主義のような間違った理論をいきなり実践してしまうことだ。ただし、批判や批評は病理学的診断で処方箋ではない。
 しからば、どうしたらよいのか。
 私の場合は父親が処方箋で、何をするにしても、「おやじだったらどうするだろうか」と自問自答してから行動した。8月の18日に80歳になろうとする今日でも変わらない。今でも世の中を愛し、責任を感じ、「なるときの太鼓」で叩きにきてくださる方がいるかぎり鳴ろうと努めている。常に臨戦態勢にある。いかにして人をつくり、育て、リーダーに仕立て上げるかという喫緊の大きなテーマがあるが、私の場合はこうだったとしかいえないのが残念である。

2010年7月15日 (木)

横浜・明日への提言(101)世の中を愛するためには知ることが第一

101

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 若い頃に夢を抱いた人間は成功や失敗に関係なくいつまでも夢を持つことができる。私は今年で80歳になるから、わが身を例にとってそう断言してもよいと思う。
 私たち戦前世代は大なり小なり貧乏や物のない時代を経験している。物がないから逆に夢を求めたのかもしれない。逆に物がゆたかになり、飽食の時代といわれる今日は「夢が持てない」という。それがどうのこうのいう前に、ゆたかになったから万々歳ではなくて、そのことによって失われるものがある、だから気をつけようという現状認識を持つ必要がある。そして、「しからばどうすればよいか」という発想が先にこないといけない。原因や責任の所在を追及することにエネルギーを使い果たしてしまうと、今の日本のようなリンチ社会になってしまう。
 しからば、どうすればよいか。
 解決の鍵はやはり「知ることは愛すること」にある。
 端的な例をあげよう。昭和39年に海外旅行が自由化され、その後3,000ドルに制限されてきた外貨持出し枠が撤廃されて原則無制限になったとき、国民的規模の外国旅行ブームが起きた。外国旅行に出かけた若い人が異文化に触れて何を知ったかというと「日本は何ていい国だったんだ」ということだった。日本人は落し物は必ず届けられるものという感覚だが、外国では荷物を置いてその場からちょっとでも離れようものならすぐに持ち去られてしまう。治安のよさは格段の違いである。海外旅行解禁を境に自民党の票が急に増え始めた。
 どうすればよいかは、最早、自明である。子どもを育てるにはまず誉めろという。当たり前と勘違いしている日本のよいところを再確認する。デパートで落し物が届くのは日本ぐらいなものだそうだ。旅館に行くと入り口に女将・番頭・仲居さんがずらりと並んで出迎えるのも日本でしか体験できないものだという。日本の美風・利点などを異文化を物差しにして総点検したうえで、改めるべきは改め、よいところはしっかり再認識する。
 改めなければならないことの第一は自虐的報道だろう。第二が知名度優先の行列症候群的な報道である。ゴルフといえば成績に関係なく石川遼をトップにする、卓球は福原愛といった感じ、ニュース価値を勝敗よりタレント性に置くようになってしまったら、最早、スポーツニュースではなく芸能情報である。そのへんの規律を立て直す。しかも虫の眼の判断ではなくトータルに判断して正しい報道をする。これが世の中の手当ての第一歩だ。世の中のよい面の発掘にウエイトを戻していけば若者にも必ず夢が戻る。夢がもてれば元気が出て意欲が湧く。次にやるべきことは産業界、経済界、文化・芸術の分野を問わず、「能力があり意欲を伴った若い人の受け皿をつくる」ということに尽きる。

2010年6月30日 (水)

横浜・明日への提言(100) もう待てない、人をつくろう

100

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 心ある人は「ものづくりニッポンの復活」こそ国民が共有すべきテーマだというが、では、次代の担い手がいるかどうかということになると、どうなのだろうか。
 松下幸之助さん、井深大さん、本田宗一郎さんら創業世代が他界して、それらのリーダーを支えた団塊世代がリタイアしていって、年齢的には世代交代が行なわれた。その結果が今なのである。
 現世代の学歴の平均値は前世代よりずっと高い。それなのにノウハウのレベルが追いつけないのはどうしてか。
 ものづくりだけに分野を絞っても、そういう現象が起きている。では若い世代がどうかというと、どうしたら夢が持てるか、どのように生きたらよいのかわからない人がふえているという。
 事実だとしたら、世の中全体の責任である。
 若い頃の私は言葉に酔う傾向があった。たとえば「知ることは愛すること」という片言の言葉を聞いただけで、「そうだ、そうだ」と心にうなずいて胸を熱くしたものである。60をすぎても、アナトール・フランスの「もしも私が神様ならば青春を人生の終わりに持ってくるだろう」という言葉に深く感動させられたものである。それが実現したら不可能はかぎりなくなくなる。
 さらにいうと、知った物事に現実の裏づけがあった。パナソニックには松下さん、ソニーには井深さん、盛田昭夫さん、ホンダには本田さんがいたし、私が生涯の職場に選んだミナト・ヨコハマには藤木幸太郎がいた。私の手本はオヤジの藤木幸太郎だったし、世の中の若者のためには松下さん、井深さん、本田さん、などなど、そのまま生きた手本が綺羅星のごとくいた。
 極論すれば夢など持つまいとしても持たずにはいられなかったのである。知れば知るほど世の中を愛し身近な人々を愛さずにはいられなくなった。世の中に知るだけの意味があったからだ。情報手段は今とは格段に遅れていたが、世の中をあるがままに知らせてくれる機能はハイレベルだった。
 夢を持てない若い人がふえているということは、世の中そのものの意味が薄れているということなのだろう。原因はいろいろにいわれている。私もこういうことではないかという見方を持っている。しかし、病理学的見地から病巣を発見することより、臨床学的に特効薬を投薬して、せめても3年先にはこうしようという夢を語り、能力と意欲を持つ「人づくり」をするのが先決と考えて、早速、私は取り掛かることにした。できるかできないかではない。もう待てない、という気持ちがそうさせたのである。

2010年6月15日 (火)

横浜・明日への提言(99)笑いとユーモアのすすめ 

99

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政治は世界の物笑い、経済は二番底の恐れ、自分自身はどうかというと、体力・気力・考える力が思うように働かない。昔の俺はこんなじゃなかったはずだと愕然とする日々。こんな毎日を送ったら身も心も病んでしまう。だから、これまでは奥に引込んだ感じの精神科医がマスコミの最前列に躍り出て堂々と意見する時代になった。その先鞭をつけたのが北杜夫のお兄さんで精神科医の斉藤茂太さんである。その人がこういうことをいっている。
「笑う以上の健康法はない。自分が他人を笑わせることはとても大事だ。」
 確かに日本人みんなで心がけたら、世の中ずいぶん違ってくる。
 小さいときからちやほや大事に育てられ苦労知らずに育った人のほうが気持ちにゆとりがあり感情も豊かで笑いやユーモアにも富むかというと、必ずしもそうではないらしい。ユーモアでいつもまわりを笑わせている人があそこで死んでもおかしくないという経験を百回もしてきたというのが実情のようだ。
 そんな話を聞いて、私はレーガン大統領がピストルで撃たれて病院に担ぎ込まれたときのエピソードを思い出した。緊急入院、即手術という切迫した空気の中でレーガンが医師にいったそうだ。
「おまえは共和党員か」
「今日一日は共和党員になりましょう」
 聞くほうも聞くほうなら答えるほうも答えるほうだ、アメリカという国のこれが強みかなあと感心したものである。
 こうしてあらためて振り返ってみると、日本のものづくりが世界のトップを突っ走った時代は笑いとユーモアが国民に浸透していた。古今亭志ん朝が活躍した時代でもある。
「そんな人を驚かせるようなこというなよ。おまえの話は股ぐらから手を突っ込んで背中を掻くようなものだ」
 うまいことをいうものだなあ、と感心しながら聞いたのを記憶する。
 アメリカをうらやましがるどころじゃない。日本人がユーモアの塊で、日々、笑いが絶えなかった。では、暮らしが豊かだったかというと決してそんなことはなかった。ただ、どうしたら豊かになれるのだろうかという国民的命題があった。今日風にいい直せば国民共通のテーマである。
 そうか、これだよ。今の日本に欠けているのは・・・。
 気づいたのはよいが、かつて一流だった老登山家と同じで、どうすれば頂に登って無事に下りてこれるか経験でわかるのだが、自分ではもう登れない。登れても安全に自信がない。散々悩んで、それが自然なんだ、まだ若い人を応援する道があるじゃないかと気づいた。途端に私のユーモアの虫が蠢き始めた。

2010年5月31日 (月)

横浜・明日への提言(98)何か忘れちゃいませんか

98

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 古い話だがプロゴルファーの草分け的存在だった中村寅吉プロを思い出して今の日本が過去に実に大きな忘れ物をしてきたことに気づいた。まだ「ジャンボ尾崎」といわれる前の尾崎将司プロが、関東プロなどのトーナメントに出場してくると、協会はわざと寅さんと組ませたそうだ。
 大相撲の世界も上下関係が厳しいが、プロゴルフの世界はそれ以上で、中村寅吉といえば神様みたいな存在だったから、尾崎は「キツイなあ、大変なのと組まされちゃった」という思いだったろう。
 もちろん練習ラウンドの話しだが、寅さんは、組んでまわる尾崎に、「尾崎っ、九番持ってこい!」と怒鳴る。尾崎は口にこそ出さないが、顔つきから、「俺は選手だよ、キャディじゃないよ」といいたい気持ちが伝わってきた。だが、何もいえなかった。
「尾崎っ、もたもたすんな!」
「はい。わかりました」
 出だしから、尾崎はリズムが狂って、ゴルフがおかしくなった。
「尾崎っ、五番持ってこい!」
 寅さんと組まされた尾崎は、横綱の前にでた幕下以下の扱いだった。
「尾崎、八番!」
 寅さんに最後までこの調子でやられて、尾崎はものの見事に沈没してしまった。あんまりな扱いなので、ホールアウト後、私は寅さんに抗議した。
「先生。ありゃ、ひどいよ。自分にはちゃんとキャディがついてるのに、相手の選手にクラブを持ってこさせるのは、おかしいじゃないか」  
 すると、寅さんがいった。
「あいつに旗取らしたら終わりだ」
「どういうことよ」
「社長。見ててごらん。トーナメントで一度でも旗を取ったら、あいつは日本の旗を全部取る。だから、おれとまわってるときは、旗をとらせないんだ」
 果たして、尾崎は寅さんのいう通りになった。
 ジャンボ尾崎の大成は長い時間と渾身の努力を続けないと越えられない高いハードル(指導者)にめぐまれたからであった。尾崎に寅さんと組む機会を与えた協会もすごかった。
 それに比べて、プロゴルフ界にかぎらず、どの分野にも、長く君臨をつづける寅さんのような大御所が出なくなった。世界に君臨した日本のものづくりのタガが緩みだしたのも、寅さんが引退する少し前あたりからであった。
 民主主義とは何か。どうあるべきか。
 使用前・使用後の日本と日本人について検証する必要がある。私も縁台のお殿様になりきって大いに書生論を述べていくつもりだ。

2010年5月15日 (土)

横浜・明日への提言(97)縁台のお殿様になろう

97

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 書生論を本気でする者がいなくなった。話しても自分にはやれないことと知りながら、世の中のこと、大きな夢を語る「縁台のお殿様」がいなくなった。
 これほどさびしいことはない。
 まさか分業が進んだせいではないと思うが、世の中は政治家任せ、自分たちは「ここへ行くといくら稼げるぞ」とか、「あそこはメシがうまいぞ」とか、こせこせしたことばかり考えるようになってしまった。
 遠大な夢、理想・・・。
 これも死語化してしまった言葉だろう。
 これほど由々しいことはない。
 人はだれであれ、その人なりに夢の一つや二つは持つものだ。その夢のすべてがかなうとはかぎらない。仮に50パーセントしかかなわないとするなら、夢そのものの大小なり質が問われることになる。数字に意味があるわけではないが、仮に千の大きさの夢と百の大きさの夢があったとする。みんなが同じ努力をしてかなうのが半分とした場合、結果は五百と五十という差になって現れる。
「全力投球をした。自分は満足だ」
 結果より過程を重視する考え方からすれば、それで大満足だろう。しかし、逆もまた真なり式にいうと「だったら、ラクな百の大きさでいこう」となりかねない。
 前回のように「しっかりしろ、高齢者」式にいえば、縁台のお殿様こそ高齢者向きの役割である。縁台がなくなったのは事実だが、お殿様のなり手がいなくなったわけではない。最大の取り得が民主主義使用前と使用後の日本と日本人を見て知っていることだ。衆愚ボックスとまでいわれるようになったテレビの使用前と使用後も経験してきた。
 分別に加えて見識を備えているとなれば最強の縁台のお殿様である。
 シンデレラ・ボーイではないが、人知では計り知れない運命の働きで社会的に場を与えられたようなときには日頃の書生論がすぐに役立つ。
 内閣支持率何パーセントといっても、「犬がみてても視聴率」と同じ類で、どんな人間がパーセンテージを構成するかはわからない。縁台のお殿様だけを対象にした世論調査を企画して一般の世論調査結果と対比するようにしたら、どちらの数字も意味が深まるのではないか。立っているものは親でも使えというぐらいだから、縁台のお殿様も使いようである。

2010年4月30日 (金)

横浜・明日への提言(96)世界初体験「超高齢化社会」を担う心意気 

96

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 病は気から、気持ちの持ちよう、その気になれば何でもできる、挙げたらもっとあると思うが、気持ち次第で結果はどうにでもなる式の譬えがある。
 それなのに、
「年を取ったせいか物忘れが激しくなった」
「年を取って体力が落ちた」
 病気になったわけでもないのに落ち込む人を見かけて、ちょっと待てよとあらためて気づいたことがある。
 日本人の平均寿命は男79歳、女85歳で、百歳以上が3万人を超えた。すなわち、日本は世界に先駆けて「超高齢化社会」を実現したわけである。世界初の偉業なのだ、おれたちはその偉業の担い手の一人なのだと、なぜ、胸を張らないのか。
 問題は、「超高齢化社会」の担い手であるわれわれがいかに生きるかである。体の健康も大事だが、これからは気持ちの健康がもっと大事になる。人間には知識などを勉強して記憶するタイプの「流動性知能」と分別、決断力、説得力、指導力など経験を積み重ねて身につく「結晶型知能」とがあって、年を経て結晶型知能が卓越するにつれて流動性知能は退化するものなのである。年とともに物忘れが多くなり、体力が落ちるのはごく自然ななりゆきであって、少しも嘆くような現象ではない。
 世界初体験の超高齢化社会の模範になろうかという日本人のわれわれが、当たり前のことに驚いたり、たじろぐようではとてもではないが世界に模範を示すことなど思いもよらない。
「しっかりしろ、高齢者!」
 年を取ってまで流動性知能を大事にしようというのがそもそもおかしいし、間違いなのである。
われわれ高齢者には若い世代に不足がちな結晶型知能を発揮する義務と責任が使命としてある。使命だから押しつけがましくすることでもないし、頼まれなければやらないでよいといった他力本願的なものでもない。
 しからば、どうせよというのか。
 各人が自発的に独創することである。それこそ分別の働かせどころであり、決断力、説得力、指導力など結晶型知能の出番である。
 いわば、それが、われわれの初舞台・・・。
 もちろん、結果がすぐに出るようなことではない。しかし、さいわいなことに「超高齢化社会」になって時間にゆとりができた。結果を追い求めてあくせくすることはないのだ。もっと瞳を輝かせて胸を張り心に髯を生やして、われわれ高齢者にしかやれないことをしっかりやりぬこう。

2010年4月15日 (木)

横浜・明日への提言(95) 世論のアンテナ精度を高めよう 

95

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 新聞の切り抜きを終戦直後からずっとつづけてきた学者が、膨大な記事から一つのパターンを発見した。そして、「ある時代にある物事を新聞がクロといったら何年かするとシロという時代がくる」といった。
 またしても、その通りになりそうな雲行きになった。
 原子力発電所がごく最近まで極めつけの迷惑施設として受けとめられ逆風にさらされつづけてきたことを認めない人はいないだろう。新聞の論調も原子力発電について否定的見解を述べてきた。
 ところが、地球温暖化が人類史的視野の大問題となり、二酸化炭素の排出量削減が世界的なテーマに格上げされるに及んで、原子力発電に関するかぎりここしばらく新聞の論調は無風状態に転じていた。
 そこへ民主党政権の「温室効果ガス25パーセント削減」という最高難度の目標値が設定され、このたびの「地球温暖化対策基本法案」や「エネルギー計画原案」などに原発拡大方針が見え隠れし始めた。きたぞ、きた、きた、という感じだ。原子力発電は半世紀近く稼動してきて施設の老朽化による更新時期が重なり、追い風として政府の輸出支援方針もあり、原発推進ムードが一気に高まりそうな気配である。
 しかし、ちょっと待てよ。
 過去にスリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故、東海村放射能漏れ事故があったから安全コストに資金の投入を惜しまなかった。安全コストは高くつくという認識が広く受け容れられていた。そういう意味では新聞の論調がプラスに作用したわけである。これから、もしも、新聞の論調が原発推進に乗り変わってしまうとすると、喉元過ぎれば熱さを忘れるの類でコスト削減が優先され事故の危険が高まることになりはしまいか。
 かつてはごく身近な安全が判断の尺度だったが、今は地球規模の安全が尺度になっており、下手をすると二律背反になりかねない。いわば今が瀬戸際なのである。ここで求められるのが「常に反対概念を手当てする」という別のパターン尺度である。パターン尺度は経験値に基づく「経験則」とでもいおうか。物事がプラス要素とマイナス要素で成り立つとすると、プラス要素を前面に押し出して事を過ちなく進めるには裏面に潜むマイナス要素が出ないように手当てすればよいという考えである。
 以上のように複数のパターン尺度で物事を見るようにすると個々人のアンテナの精度が上がって、これからどうすべきかがよくわかる。世の中が理に適ったことをやっているか、間違ったことをやっているか、的確に判断できるようになる。
 世論とはそういうものでありたい。