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明日への提言 Feed

2010年3月31日 (水)

横浜・明日への提言(94)世代交代したらどうなるの? 

94

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 何かを批判する場合、「俺の考えが正しい。違ったことをいうおまえの考えは間違っている」というようないい方が当たり前のようになりだした。そういうのを「バイアス(先入観)思考というんだ」と教えてくれた人がいた。自分が正しいという考えに凝り固まってしまうと、学者だろうが、研究者だろうが、検事だろうが、裁判官だろうが、まったく物事が見えなくなってしまうのだそうだ。
 そういえばいたな、そんなのが・・・・・・。
 まず市場原理主義の正しさを証明してから物差しとして用い、抵抗する側の主張を論駁するのが普通なのだが、かの学者政治家はいきなり市場原理主義を物差しに用いてダンビラみたいに振り回した。市場原理主義が正しい、構造改革しないといけないんだ、抵抗する主張はすべて間違いだ。
 最近は若手・中堅の政治家が似たようなことをやり出した。
「兎に角、世代交代だ。改革をやり遂げるには、それっきゃない」
 一例をあげると、世代交代は善なのだから古い自民党はいけないという論法になるらしい。現実には「古い自民党時代のほうが政治はしっかり行なわれていた」という面もおおいと思うが、そういうふうに全体を客観的に見ようとしないで揚げ足を取る類の批判ばかりやって、いきなり「だから」とくる。だけど、世代交代は放っておいても行われる。あえてスピードを上げるからには、何を、どうして、どうやって、やったらこうなる、というシナリオがなければならないのだが、肝腎なシナリオがどうも行方不明なようである。改革自体も名前と掛け声ばかりで中身は白紙に近い。それで世の中がよくなるなら結構だが、正直いって、もう、うんざりだ。
 世代交代は必要だと思うし待ちこがれてもいるが、任せたくなるような若い世代がなかなか育ってこない。おそらくバイアス思考が進歩と成長を妨げてきたのだろう。
 と、なると、構造改革政治の弊害は日本の中産階級を解体したのみならず、次の世代の進歩と成長まで止めてしまったことになるのではないか。そういえば、バイアス思考を嘆いた人はこんなこともいっていたっけ。
「消費税は自分がいる間は上げない、不都合はみんな先送り。拉致被害者帰国のようにすぐ得点になりそうなよいとこ取りばかりやりつくして、ハイ、さようなら。これじゃあ、あとをだれがやってもうまくいかないよ」
 振り返ってみると、われわれも知らない間にバイアス思考に陥って今の日本の本当の病巣が見えなくなっているのではないか。世代交代が単に年齢的に若返らせるだけなら時の流れに任せたほうがよい。

2010年3月15日 (月)

横浜・明日への提言(93)持たない強みもあるんだよ 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
  
 モータリゼーションが喧伝された時代から、庶民でさえ一家に一台のマイカーを持ち、親子で二台という家庭もめずらしくなくなった。マイカーを持たなければ人間じゃない式の風潮さえあった時代、わざと自家用車を持たない主義の人がいた。
 今、モータリゼーションに代わって潮流をつくりつつある文明の利器はケータイである。歩いているときでも左手がケーターで塞がっている人、寸暇もなくケータイでメールを送りつづける人、ケータイ、ケータイ、ケータイの時代になった。
 こうした時代にも、わざとケータイを持とうとしない人がいる。
 デフォルメした感じのいい方をすると、怒涛のように押し寄せてわれもわれもと飛びつくモノがある一方で、確信犯的にそうした潮流の外に身を置く人々がいたわけである。
 モータリゼーション、マイカー時代にはクルマを持たない人を「偉い人」と評価するある種の見識があった。今ならケータイを持たない使わない人が偉い人と評価する考え方になるだろう。
 なぜ、常にアンチを志すのだろうか。
 この間、はっとさせられる意見を耳にした。
「いまやクルマは電子情報技術のかたまりです。ケータイはもとより、テレビもデジタル化しようとしています。しかし、社会全体がデジタル製品で埋めつくされても、それをつくるのは人間であり、人間はどこまでいってもアナログのかたまりなんです。それを忘れて潮流に流された結果が今の日本です」
 思わず私はぎょっとした。
 世の中の潮流がエコロジーに傾きつつある今、クルマはハイブリッド車が優位に立ち、やがては電気自動車に移行しようかという雲行きである。デジタル技術が詰めこまれたものを使うだけの人はそれに合わせていくだけだから、そこに大きな落とし穴があると気づかない。人間は脳、目、耳、鼻、口、舌、手足というアナログ器官を駆使して、とうとうデジタル時代といわれる超便利社会をつくりだしたわけだが、超便利社会がつくり出す人間はどんな姿になるのだろう。
 アンチを志す人はそうしたクエスチョンにその人なりにきちんと見通しを持っているわけで、自分が見出した答えに従っているにすぎない。
すなわち、脳、目、耳、鼻、口、舌、手足などのアナログ器官を退化させるようなことは極力さけて、常につくる側に身を置こうとしているわけである。
 ケータイが左手からはなれない人はそれだけほかのことに使える時間が少なくなるのが道理で、人間がある意味時間勝負で生きている側面に照らすと著しく不利な立場に置かれてしまう。
 ケータイ、恐るべし。
 だから、私はケータイをもたない。

2010年2月28日 (日)

横浜・明日への提言(92)ありがとう、すみません

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 大したものだ、かなわないな、俗にシャッポを脱ぐ、兜を脱ぐという気持ちにさせられるのは、感謝を知り謙譲な人に対してである。一国の総理であろうが、どんなにエライ人であろうが、「ありがとう」と「すみません」がいえないようでは尊敬の念が湧かない。
 衣食足りて礼節を知る。
 実るほど頭を垂れる稲穂かな。
 古い諺を持ち出すまでもなく、威張った人間よりも謙虚でよく感謝する人間のほうが親しまれるし、尊敬もされる。当然、そういう人なら信頼もされるだろう。
 ちょっと強引に信頼を持ち出したが、信頼はどこから生まれるかという差し迫った疑問というか、問いかけの答えを私なりに探してきた。なぜ信頼について差し迫った問いかけをするかというと、今、政治家も企業のトップも国民の信頼、社員の信頼、極論すると仲間の信頼さえ失ったような光景を随所に見受けるからである。
 信頼が伴わなければどんな立派なことをいってもスタッフは面従腹背で実力を発揮しなくなってしまうし、そんな状態が長くつづこうものならお互いに尖った気持ちになって、ますます信頼の念が薄れ、叩けばカンと金属的な音がしそうな世の中になっていく。
 選挙の公約が守れないことが問題で、それが少しも解決していないのに、あるいはだからこそというべきか、より本気度を強調しただけのマニフェストを持ち出すような世の中は、どう考えても現代イソップの領域に踏み込んだとしか思えない。今の政権がその例になりはしないか。マニフェストの自縄自縛から脱し切れないで、そのうち自滅自壊するのではないか、そのような懸念を抱かせるようなことではいけない。
 世論調査の支持率が判断・決断の尺度だというのに、信頼がなかったらどうなってしまうか。民意に対する逆の意味での面従腹背政治になってしまう。その最初の鬼子がマニフェストだったわけだ。
 どうしたら、信頼関係を復活できるのか。
 必要とする時間を考慮せずにいうと、政治家、経営者を含めた国民一人ひとりが、「ありがとう」「すみません」をごく自然にいえる日常を構築することから始めるほかないように思う。
 そんなの簡単じゃないかとおっしゃるなら続けてご覧なさい。一回や二回なら嘘や誤魔化しでいえるだろうが、日常的に続けるとなると容易なことではない。素直にいえるにはまわりを尊重し、親しみ、まろやかな気持ちにならないと、その簡単な言葉が喉に詰まって出なくなってしまう。
 うそだと思うならやってご覧なさい。
 もしもあなたがいえたなら、そこから先は私の出る幕ではないから、今、ここで、ことさらにいう必要はないだろう。

2010年2月15日 (月)

横浜・明日への提言(91)伝統と継承、そして温故知新 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 75歳以上を後期高齢者と呼んで新しい医療制度に囲い込みを図ったり、70歳を超えたら党で公認しないとか、年齢で線引きしてある意図を面倒なしにやってのけようとする。
 70、75を過ぎると何がいけないのか。35、40の人間と比べてどうなのか。
 そのへんの検証がなされた形跡もないし、検証結果に接したこともない。なんとなくそんなおかしな空気が世の中を支配し始めているのではないか。
 介護の分野を例にとると、やれることとやれないことをあらかじめ線引きして決めておくのがトラブル防止策なのだという。しかし、実際には必要と判断すれば線引きを無視してでもやろうとする介護士もいれば、線引きを厳守する石部金吉的な介護士もいる。
 前にもどこかで述べたかもしれないが、ディズニーランドのマニュアル教育はかなり徹底したものらしいが、最後にかならず「ただし、仕事をするのはマニュアルではなくあなたの人柄です」と釘を刺すことを忘れないという。
 要するに年齢制限や規制といった線引きの問題などではなく人格の問題なのだ。基準やマニュアルはあくまでも目安、それ以下では困るからマニュアルが必要とされるのであって、超える分には一向に構わないというのが、恐らくディズニーランドの「但し書きの」の本旨だろう。
 だとすると、広く世の中に通用するマニュアルはないものだろうか。
 私は伝統がそれに相当すると考えている。古いマニュアルに新しい意義が加味され、時宜にかなった伝統に更新されていく。完成された古典芸能、その時代の光景や雰囲気をストレートに伝える民族行事、そういうものは手を加えないで残さないといけない。すなわち、それが伝承である。
 年配者は伝統と伝承の違いを峻別して今の時代の判断を誤らせない責任を負う。高齢者なら少なくともそれぐらいの自負は持ってもらいたい。若年層は意味不明の線引きをする前に伝統に何を加味したら今という時代に寄与するか、それを先に提示する必要があるだろう。そうすれば世代交代は意義あるものになるだろうし、スムーズに進む。
 ところが、若さだけが売り物で「線引きマニュアル」をダンビラに振り回してみずからに利することしか考えない石部金吉的政治家ばかりだと、世代交代は奈落に真っ逆さまの落とし穴になりかねないし、民主党の支持率が下がっても敵失の乗じることすらできないどこかの党のようになってしまう。
 心ある向きは、もって他山の石とすべきだろう。

2010年1月31日 (日)

横浜・明日への提言(90)暴力資本主義、待った 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 ヘッジファンドのマネーゲームに象徴される強欲資本主義が個人主義と結託した状態を私は「暴力資本主義」と呼ぶことにしている。そもそも資本主義は何かといえば、人間が生きていくために必要とする製品をつくり、販売することで利潤を追求するのが本来だった。資本も生産のための潤滑油として機能した。投機性のない純然とした投資であり、投資家は企業を育てる楽しみを知っていた。企業の成長につれて国民の生活レベルも上がり、それがまた企業の成長の原動力を生み出した。今思うと極めて健全な資本主義だった。
 ソニーがトランジスタラジオを世界中に売りまくって中小企業から一躍一流企業にのし上がり、日本のものづくりの世界進出に先鞭をつけた結果、ものづくり立国といわれるほど日本の製造業は活発になって、働く労働者もまた中産階級にのし上がった。日本が一億総中産階級化するという輝かしい時代が到来した。
 世界に冠たる「総中産階級社会」を維持するためにありとあらゆる規制を駆使していかなければならないはずだったのだが、日本の政府は外圧に屈して金融の規制緩和に走ってしまった。バブルとバブルの崩壊という日本経済を襲ったダブルショックの原因は多々あるだろうが、東京が世界の金融センターになったという錯覚と奢りから、「ものづくり立国」という本来の姿を見失ったのが最大の原因で、そのツケは実に大きかった。
 日本のバブルとバブル崩壊はアメリカが仕掛けた金融戦争(仕手戦)に敗北した結果といわれるが、勝ったのはアメリカではなく一握りのヘッジファンドだったという。
「日本が金融の智恵で世界に太刀打ちできるようになるためには、教育から改革していく必要がある」
 勝者アメリカの金融アナリストはこのように豪語した。
 金融理論を完全にマスターしているのは世界でもほんの一握りの人間しかいないそうだ。そんな奴らで固めたヘッジファンドを規制緩和で後押しして野放し状態に放置したのが市場原理主義者の構造改革だった。
「儲けたい人はいくらでもどうぞ」
 こんなバカな話はない。儲けること自体が目的化してどうすんだ。ごく一部の人間にしか理解できない金融など話にならん。金融システムの規制強化で実体経済の安定化を図るなど、対抗すべき智恵はいくらでもあるはずではないか。勝った負けた、金の多寡、そんなものを価値判断の尺度にするようなことはやめよう。まっとうに汗をかいて稼ぐ、足りないときは分け合う、困ったときはお互い様で助け合う。こういう尺度で世の中を築いていこう。
 まず、「隗より始めよ」である。経営者の一人、団体のトップとして、私は自分が受け持つブロックで、そういう潤いのある組織にするよう努力してきたし、これからもつづける決意である。あとにつづく経営者、団体のトップが増えることを祈るばかりである。

2010年1月15日 (金)

横浜・明日への提言(89) 日本人のDNAを継承しよう 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 アメリカは国民の5パーセントが国の富を独占する格差大国だが、民族的なDNAからするとその5パーセントの大半は伝統的なアメリカ人ではないという。では、どういうのが伝統的アメリカ人の典型かというと『若草物語』に描かれた家族像なのだそうだ。ディズニーランドにアメリカ人が好んで足を運ぶのは古きよきアメリカへのノスタルジーからなのだという。
 そういうものかもしれないという程度に専門家の話を当座は聞き流したが、この不景気にもかかわらず日本のディズニーランドがますます盛況となると、では日本人はなんでそんなに行きたがるのかと真剣に考えざるを得なくなってしまう。
 太古の日本列島は一時期アジア大陸とつながっていたそうだが、最後の氷河期が終わり、縄文時代の7、8千年は分離し孤立していたといわれている。日本人のDNAが形成されたとするなら、恐らくこの間ではないだろうか。しかし、それでは、日本人のDNAがどのようなものであったか、類推するにしても判断材料が乏しすぎる。そこで、鎖国250年の江戸時代をもとに考えてみることにした。
 江戸時代は鎖国だから自給自足であり、縄文時代と条件が一致する。大幅に異なるのが加工技術と道具の進歩だが、江戸時代の職人は自分の手に合った道具づくりから始めなければならなかったから、今日と比較した場合にはむしろ縄文に近いだろう。
 毎日の食卓を限られた主食と副食で賄うとしたら、どういう問題が起きるだろうか。変わり映えしないからいつかは飽きがくる。そこで、まず旬のものが尊重された。しかし、それにも限界がある。季節の制約を受ける限られた食材で飽きない食事を一年365日実現していくには味噌、醤油などの調味料に加えて、調理法のバリエーションの確立が必要になる。それはまさに体系といえるほどのもので、素材、調味料、調理法を組み合わせた江戸時代のノウハウが再現できたら、現代の料理人は恐れ入ってひれ伏すだろうとさえいわれている。
 工芸関係についても同じことがいえそうだ。日本が経済大国になれたのは日本のものづくりが技術的に世界を席巻した結果であった。それが今は世界並になっているらしい。それだけでも外国のエンジニアは驚いて、「今、日本に何が起きているんだ」と首を傾げていると聞く。
 孤立した島国、鎖国状態で日本人が生き抜くには義理・人情・恩返し(GNO)の精神的な体系化も必要だったろう。GNOを下敷きにして『忠臣蔵』『南総里見八犬伝』などの時代物、『曽根崎心中』『心中天網島』『東海道四谷怪談』などの世話物として結実をみた。物の問題は創意工夫で解決がつくが、互助結束の精神を伴わなかったら社会的な広がりを持たなかった。日本人の悪い面もあるにはあるが、まずよい面から確実にものにしていくことが、DNA再発見、復活につながるはずである。そういう意味で今年も機会があればGNOを訴えていきたい。

2010年1月 1日 (金)

横浜・明日への提言(88) 情報提供元年にしよう 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 今年の年頭所感は今年を「情報提供元年」にしようという提案である。情報公開は国民や市民から請求があった場合、文書などの情報を公開するという消極的なもので、いわゆる揚げ足取り的に用いられやすく、それが国民・市民に多用されたら間違いなく国家・地方自治体の組織機構はマヒするだろう。それに対して情報公開は高度のノウハウを必要とするが、提供した情報が活用されればそれに比例して世の中の認識が深まる利点がある。
 どういうことかというと、終戦直後、連合軍占領下の内閣総理大臣幣原喜重郎は戦前から親英米派であったことから憲法九条の成立に大きな役割を果たしたように誤解されてきたが、ある事実を知って私は認識が一変した。事実はどうであったかというと幣原喜重郎はみずから中心になって日本独自の憲法草案を起草したのだが、GHQに大鉈を振われ、遂には憲法九条を受け容れなければならなくなったとき、内閣全員が悔しさのあまり男泣きに泣いたというのである。憲法九条成立時の総理だから大きく役割を果たしたように誤って伝えられたのだと思うが、真実はまるで逆であった。
 事実を事実として伝えるか、事実をもとにした解釈を伝えるか、大いに考えさせられたのが、小泉内閣で金融経済政策担当大臣を務めた竹中平蔵慶応大学教授(元参議院議員)が大臣在任中頻繁にアメリカ詣でを繰り返したこと、それを本人が認めたという小さな囲み記事がある大新聞の紙面に載ったときであった。具体的な回数と個々の目的が明記されていたら事実報道になったのだろうが、頻繁という表現は取材した記者の解釈だからうっかり引用できない。つまり役に立たない。恐らく記者は抽象的な表現でも竹中氏が何か事あるごとにアメリカ本社へ報告に行って今後のおうかがいを立てるアメリカ日本支社総務部長的役割を果たした、読者はそう理解できるはずだと勝手に解釈したのかも知れない。
 まず事実を伝える。そこから入るのが基本で、解釈論から入ると落としどころが見つからないまま泥沼にはまってしまう。その典型例が日本の歴史の記述で、従来から百人いたら百人の勝手な解釈論で論争が行われてきた。だから、歴史の記述が事実からどんどん遊離していってしまう。聞くところによると、今、日本史に必要なのは事実が提示されたら即解釈するのではなく、前後の事実との合理的整合性をも含めた検証、その方法論の確立だという。
 確かに事実は解釈より重い。幣原喜重郎以下内閣全員が泣いた事実を知っただけで、私の憲法観は一新された。しかし、憲法改正は手続き的にむずかしい面があるから、せめて政府には国会の審議で実現可能な国産「教育三法」すなわち改正法などではない学校教育法、地方教育行政法、教育職員免許法を誕生させて欲しいと望むようになった。
 どうぞ、本年もよろしく。

2009年12月15日 (火)

横浜・明日への提言(87)長いスパン、自在のペース 

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 民主党政権が行う事業仕分けで、次世代スーパーコンピューターの開発予算をはじめ科学技術関係の予算の廃止や削減が問題になった。行政刷新会議のパフォーマンスは国民受けして好評のようだが、問題は仕分け人の識見である。科学技術や芸術の分野は努力に応じて結果が約束されるとはかぎらないから「効率」や「費用対効果」といった物差しの判断にはなじまない。「アメリカから買ったらどうか」という提案に、アメリカは最先端のものは売らないから二番手のレベルに甘んじることになると行政側が説明すると、「世界で二番ではいけないのか」という質問が返った。買う、二番目ではいけないのか、と平気でいう仕分け人のセンスにまず驚く。
 オリンピックのメダル数は強化予算に比例するとIOCの関係者から聞いたことがある。科学技術の進歩も同じらしい。しかし、逆は必ずしも真ならずで、どれだけの予算を使ったらメダルをいくつ取れるかを事前にきちんと説明しろと迫られても答えようがないはずだ。ただし、経験則から判断はつく。国体の開催県がどういうわけか天皇杯、皇后杯を獲得するのが通例のようになったのは、一番になる意気込みで強化に取り組み、予算に糸目をつけないためだろう。だから、科学技術予算の費用対効果を説明できないこと自体に問題があるというより、経験則から洞察することのできない仕分け人のセンスに課題がある。
 日本はものづくりで立国してきたはずだが、ここへきて地盤沈下が際立つのは、株主の顔色をうかがって長いスパンの開発予算が取れなくなったことと自在な取り組みに制約が多く設けられたことに最大の原因があるそうだ。経営トップが株主のほうにばかり目を向けている企業ほど開発面の退潮が目立つという。実に嘆かわしいことだが、打開策としてはその逆をやることをお勧めしたい。
 かつての日本の底力は経営トップが会社は社員と家族のためにあるとしっかり認識していた。そこに利害打算を超越した心の紐帯が生まれ、よそがやれないような開発をやってみせようという旺盛な意欲につながったわけである。二番でいいなどという発想はどこにもなかった。たまたま結果として二番に甘んじても、今に見ておれと決して諦めるようなことはなかった。
 ところが、某全国紙の投書欄で次のような意見を見た。
「どんな研究であっても税金を使う研究であれば、その必要性や意義に
ついて納税者に説明する義務がある」
 税金という金を基準にした新手の主張で、もっと株主を納得させるような経営をしろというのと同根の発想である。こんな声援にくれぐれも行政刷新会議が踊らされぬよう切に祈るものである。

2009年11月30日 (月)

横浜・明日への提言<86> 時間をかける、結論を急がない

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 

 大晦日まで間があるというのに少し気が早いかもしれないが、私にとって今年最大のニュースは民主党政権誕生である。過去に連立による政権交代はあったが、政党単独の政権交代は初めてである。革命的ともいえる出来事である。それから4ヶ月になろうとしているわけだが、民主党政権の評価が定まらない。新聞マスコミはああでもないこうでもないと批判記事を出しているのだが、世論調査の結果は鳩山内閣支持率微減で一向に反応が同期してこないのである。麻生自民党前内閣のときはマスコミ批判に見事に同期して支持率が劇的に下がりつづけたのだから、これもまたこれまでにない新しい現象である。
 実は私は以上のような国民の反応に納得し安心すら覚えるのである。
8月頃の私の考えは、政権交代は避けられない、ただし、民主党政権は短命というものだった。今は違う。ひょっとしたら4年間つづいていくのではないかと考えている。ひょっとしたらであるからには、ようすを見ようということである。
 世論調査に表われた鳩山内閣の支持率もまた同様に「様子見」なのだろう。完全な支持ではなさそうだから磐石ではないが、大きな期待を生み出しているのは事実である。自民党政権の末期は期待すら持たれなかったのだから、やはり劇的な国民意識の変換である。
 マスコミの感覚と国民のセンスに始めて現前したズレ、私にとってこれは実に喜ばしい大発見である。これまでしばしばマスコミのトリックスター化を指摘してきたが、彼らの国民意識支配、マインドコントロールにも限界があるということを如実に語ってくれたわけで、これでよしと一安心した。
 結論を急ぐ心が批判を先走らせ、批判が懐疑を生む。懐疑が深まると人間はネクラになってろくなことを思い浮かべない。あるいはまたネクラになるとどうしても結果を早く欲しがるようになって、判断の物差しまで「金、カネ」になってしまう。目に見える結果を早く出すには売り上げ、株価、資産価値、利益を基準にビジネスの諸事万端を取り仕切ってしまうことになり、情味がカラカラに乾いて品のない経営に陥っていく。それがこれまでだった。
 過去にもいったように、人間はネアカでなければならない。ようやく政権交代が実現して始まったばかりというのに、スタートから心配してどうすんだと考えるのが本当だろう。
 考えようによっては、マスコミが撒き散らしたネクラ記事の呪縛から脱却する国民的チャンスかもしれない。マスコミの感覚と国民のセンスに始めて現前したズレがそれを教えてくれている。だとしたら、われわれはわれわれでチャンスをしっかりものにしなければならない。

2009年11月15日 (日)

横浜・明日への提言<85> フォーラム・ディスカッションのすすめ

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 前からこうあるべきだと思って、機会があるごとにいいつづけてきたことだが、講演会に出席してプロの講師の話を聞いて、それが果たしてどれだけためになっているのか、国民的規模で考える必要がある。一人だけべらべらしゃべって、その他は「さよなら」というのは、非常にまずいと思う。
 フォーラムは広場とも訳されるが、意味としては「井戸端会議」がぴったりする。それからシンポジウム、これはプラトンの『対話編・饗宴』(原題シュンポシオン)から生まれた言葉で、砕いていえば酒を飲みながらしゃべろうということ。広く普及しているシンポジウムはテーマにしばられて難しい顔で討論するものだから本来の語源からちょっとずれている。
 ブレインストーミングというか、談論風発風に自由にディスカッションするのが本当で、あえていうならフォーラム・ディスカッションかシンポジウム・ディスカッションである。その反対がパネル・ディスカッション。こちらは専門家をパネラーとして呼ぶ。パネラーはそれぞれ自分の得意分野のことをしゃべる。一般の人がわからないことを聞いて、「なるほど、そういうものかなあ」と納得する。しかし、それでは考えが深まらない。
「俺はこう思うんだけど、おまえはどうなんだ」
 お互いに意見をざっくばらんにやり取りする文化、一緒に参加して一緒になって何かする文化、皮肉なことに物のない時代にそうしたカルチャーが出来て、斬新なアイデアが生まれ、生活を一新するような製品や商品がつくられてきた。
 今はどうかというと、若い人たちはメールでのやり取りが主流だというから、驚くと同時に将来が心配になってしまう。世代交代が時代の進歩に結びつくようにするには、お互いに意見をぶつけ合う機会をもっとつくり出すことが必要なのではないか。
 しからば、どうしたらよいのか。フォーラム・ディスカッションが井戸端会議であるためには、だれが何をいったかわかるようでないと意味がないから、まず人数を15 人以下に制限する必要がある。内閣が「15人から17人程度以内」と制限されているのがよい例である。
 次に自分が意見をいったら今度は相手の意見を聞く態度を叩き込む。マナーとルールを徹底して、自分も邪魔されない代わりに、相手の邪魔もしないようにする。そして、これが一番大切なことで、少数意見を尊重する。ただし、誤解してはいけない。意見が多数だから質的にもすぐれているということでもないし、逆に少数意見に限って質的に正しいと取り違えないことが肝要だ。少数意見の尊重というのは多数意見の質的検証を怠るなという警告なのである。