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2009年10月31日 (土)

横浜・明日への提言<84> 早起き早寝を励行しよう

84

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 子どもの頃、学校の先生や親から「早寝早起き」を勧められた思い出を持つ人は多いはずである。多くの場合「早寝早起きが健康の秘訣」という意味でいわれたのだと思うが、健康であること自体は人生の基本ではあるけれども目的そのものではない。世の中のため、人のために何をするかが生きる目的で、そのための健康であると私は考えている。
 一日生涯という言葉がある。一所懸命を懸命に一生つづける。明日はまだこないのだから今日一日を生きるのが大事だ。その一日を早く寝ることから始めてよいのか。
 だから、私の場合は早寝早起きではなく、早起き、早寝。早く起きることが何より最優先される。朝起きてまず時計の針を合わせる。ゼンマイの時計ならネジを巻く。電池なら新しい電池を入れたというようなことだろうか。それがその人の一日の始まり。すると、その人のいのちの燃焼時間が4、5時間長くなる。朝の4時に時計を合わせると早寝の時間が決まる。どんなに遅くなっても8時か9時。どんなに観たいテレビの番組があってもビデオに録画してあとで観れば済むことだ。このように迷わず「早起き、早寝」を規則正しく一年365日やってごらんなさい。どれだけ多くの時間を有効に使うことができるか。生涯それを貫いたら「早起き、早寝」を怠ってなんとなく一日を生きる人との差は大変なものになる。
 ところで、なぜ、世のため人のためなのかというと、その人の志がその人の品格を決めるからである。自分の利害しか考えないでいると、いつしか結果ばかり欲しがる悪い癖が身について、やり方を誤まってしまう。不正行為や不当な手段で得た利益や成功は人前で胸を張れないから常に後ろめたい気持ちでいなければならない。そんな人が世の中の尊敬を集めたり、人々の信頼を得るはずがない。
 したがって、時計の針を合わせたら、次は一日に何をやるかを決めて時間を配分する。ここでも早起きで得た時間がものをいう。時間のゆとりが気持ちに余裕を生み、目的意識で気分が高揚する。やることなすことうまくいくとは限らないから、時には失敗することもあり、毎日が判で押したように流れるわけではないが、目的意識がしっかりしているから失敗がかえってメリハリを生む。失敗したら反省して、しっかり総括し、明日の課題にすればいい。
 よく年を取ると早起きになるといわれる。私は来年で80になるが、年齢のせいで早起きしているわけではない。生きている間にやりたいこと、やっておかなければならないことがいっぱいある。そのために早起きしなければならないのだ。みなさんも私のように「早起き、早寝」に励まれるようお勧めしたい。

2009年10月15日 (木)

横浜・明日への提言(83)大変革の時代を生きるには

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 凋落が嘆かれているニッポンのものづくりの分野でも根底から覆すような大変革が起きた。アナログ時代には新製品を日本で最初に出して、順番に次はアメリカ、その次がヨーロッパ、さらにはブラジルといった具合に世界中に広まるまで一年かかった。部品づくりも最初は国内だけだから月に1万個も生産できればオンの字、アメリカ向けが始まったから月に2万個、ヨーロッパ向けが加わって3万個という具合に時間的にも量的にもズレがあって、段階を踏んで増やしていけばよかったから、品質のリスクは分散されたし、在庫管理もしやすかった。
 デジタル時代を迎えてそれがどう変わったかというと、IT化のせいで世界同時発売ができてしまう。世界同時発売になると、部品メーカーも、セットメーカーも、ヨーイドンで急激な立ち上がりを要求されるから、スタートダッシュに失敗したら全部在庫にまわって、結局、バッタ屋にまわすほかなくなってしまう。スタートが間に合ったとしても品質管理に落ち度があろうものならリコールで莫大な損失を出したうえに在庫を一気に増やしてしまう。そういう時代に人間が「二者択一」を即断定・即反応するだけの単純な知能でよいのだろうか。
 戦後日本の奇跡的な復興と高度成長はあの時代には当たり前だった「反労働基準法的空間」と「アナログ的思考」のお陰と私は理解している。戦災で家も工場も失い、機械も材料も時間をかけて苦心して集めなければ何もつくれなかったから、エンジニアは自分で工具類をつくることから始めた。だれもが必要とする新しいものをつくるためには未知の知識をどんどん取り入れていく必要に迫られた。学習パターンでいうと「脳から手へ」「手から脳へ」の反復訓練が必然のこととして繰り返されたのである。一人の人間が材料探しから実装まですべてをこなし新技術の導入までやったから世界に比類のないエンジニアたちを輩出、ものづくりニッポン王国が実現をみたのである。
 今日のエンジニアが知識ばかりではなく当時のような高度のノウハウを身につけるにはどうしたらよいか、そこまで説明すれば答えはいうまでもないだろう。経営者と法律家が激論を闘わせれば「月月火水木金金」のような「反労働基準法的空間」をつくるのは可能だろうし、雇用関係で縛らず志願者で組織化を図れば過労死の問題も生じない。嫌々やらされるから過労が死につながるのであって、好きでやる分には支障がないことはわかっている。
 もう一つ決定的に復活が必要なのが「修練」である。基本動作から高度のバリエーションまで今日も修練に明け暮れるスポーツ選手が世界新を連発できるのはそのためである。そういうお手本があるというのに、アフター5に楽しみを求めたり、電子ゲームに埋没したり、即断定・即反応の二者択一構造にいつまでもしがみついて甘んじていてよいものだろうか。構造改革が必要だったのは、むしろ、こっちの分野ではなかったか。

2009年9月30日 (水)

横浜・明日への提言(82)「ちょっと待てよ」と立ち止まれ

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 あらためて振り返ってみると、私たちは「どうなんだ、どうなんだ」と毎日違うページをめくるようにテレビの前に釘づけにされるような生活になってしまった観がある。森内閣不支持率80パーセント台、小泉内閣支持率80パーセント台のあたりから、極端から極端へ走る傾向が始まり、それにワンフレーズポリティクスが加味された相乗効果で、白か黒か、マルかバツか、二者択一社会になってしまった。それもじっくり考えたうえでの二者択一ではなく、「どうなんだ、どうなんだ」「さあ、どうする、どうする」とせかされるような感じで選択を迫られるのである。そして、今回の「民主党か、自民党か」だ。私はこのようになってしまった世の中のしくみや人間の知能を「即断定・即反応の二者択一構造」と呼ぶことにした。
 私は携帯電話が出まわったとき、月刊誌『PHP』に「携帯が国を滅ぼす」という警告の論文を書いた。多機能化した今日の携帯電話は想定外であったから亡国の度合いは当時とは比較にならないほど高まっているわけである。携帯電話で見るニュースは断片的で展開が実に速い。何でも自分の頭で考えて咀嚼してからでないと理解したと思えないシーラカンス級のアナログ世代の私などはあまりにもめまぐるしすぎてついていけないのだが、ゲーム世代にとっては場面がめまぐるしく変わるほうがテンポが合うのだという。ある日あるとき、彼らが夢中になるゲームの場面をのぞいて驚いた。画面の下に字幕が出るのだが、私が三分の一も読み進まないうちに、彼らは画面を先送りしてしまう。「それで、わかるのか」と聞くと「わかる」という。
 それでなくとも、今は隣の人間とも携帯メールで会話のやり取りをする時代である。それぐらいは知っているから、そのこと自体は驚くものではないが、隣の人間とメールのやり取りする感覚でアメリカの相手とも会話のやり取りができて、しかも、料金がまったく同じだと聞いたとき、真偽のほどは別としてとにかく度肝をぬかれた。
 むかしはアメリカへ電話をするなどというと、国際電電に申し込んで相手がでるまで40分近く待たされた。いつつながるかわからないから、つながるまでの間、電話番をしていなければならなかった。これを大変革と呼ばないで何といおうか。
 まさしく高度情報化社会であるが、機械に人間がもてあそばれている気がしないでもない。しからばどうすればよいかといえば、こういうときは反対概念を行えばいい。即断定・即反応が人間の思考力を退化させているのだから、「ちょっと待てよ」と立ち止って自分の頭で考え、自分で答えを出す練習をすることだ。人間が人間らしく振舞えるようにするには、人間らしい行動を反復して本来の姿を再現するしかないのではないか。

2009年9月14日 (月)

横浜・明日への提言(81)バーチャルとリアル

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政権交代を実現させた総選挙の報道の過熱ぶりを私は冷めた目で眺めてきた。すべて前からわかっていたことじゃないかと。しかし、加熱するほどマスコミが選挙報道に夢中になるのにはわけがある。兎に角、予測調査はよく当たるらしい。外れるのは予測投票率くらいなもので、それも規則性のある誤差だから想定内である。偏差値など統計理論を少しでも理解していれば、調査をして現状を僅かな誤差で言い当てるのはさほどむずかしいことでないくらいのことはわかるから、選挙の予測調査をやること自体を問題にするつもりはない。私が問題視してやまないのはマスコミが予測調査のバーチャルな結果をリアルに演出したり記事として使うことの是非である。
 民主308、自民119という数字は、どこのテレビ局も、どの新聞社も、かなり早い段階に実施した調査で掴んでいたはずである。あたらずといえども遠からずで、麻生政権発足直後から議席数の予測はほとんど変化がなかった。結果は自明の理なのだからマスコミは冷静に論評するのが本当だろう。それなのに、キャスターも、コメンテーターも、バーチャルなデータのみに言及して、センセーショナルな取り上げ方を繰り返した。つまり、テレビ画面の裏側はバーチャルでしらじらしい演出世界でしかないのに、画面のこちら側の視聴者はリアルに受けとめてしまう。マスコミはそうした現象も織り込み済みのこととしているというのだから、これほど不条理なことはない。
 麻生政権発足後間もなく、自民党の大物議員が党独自の調査結果を提示して総選挙を先送りするいいわけにした。自民党にもわかっていたのだから、テレビのワイドショーなどに振りまわされることもないと思うのだが、そうはいかないところにテレビが持つ魔力みたいなものがあるのだろうか。
 地すべり的圧勝で政権交代を勝ち取った民主党も同じである。結果を欲しがるあまり油断を戒めるだけで、次のプログラムを確定して少しでも先へ進むことを怠った。
 こんなことを繰り返していたら、日本はどうなるのだろう。バーチャルな世界を演出しトリックスター化するマスコミ、バーチャルな世界をリアルと信じて憎しみや怒りを増幅して、結局、マスコミの誘導に乗せられて二者択一に走ってしまう視聴者、その悪しき循環が螺旋的に行き着く先は何か。賢明で健全なリーダー不在下のポピュリズム、中身が真空の高度情報化社会、即断定、即反応の二者択一知能など、どのようにも予測がつくわけであるが、私は政権交代などよりこうしたシチュエーションのほうをむしろ衝撃的に受けとめている。
 しからば、どうすればよいのか。論じるとすれば、自民党の再生などより情報を国民に提供する世の中の仕組みの検証と再構築ではないか。次回もこの問題を取り上げてみたい。

2009年9月 2日 (水)

横浜・明日への提言(80)マスコミはもっと巨視に徹すべし

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 今回の総選挙は大方のマスコミが予想した通りの結果になった。いずれにしても、想定の範囲内であった。そんなことより、新聞やテレビが「自民か、民主か」の二者択一で突っ走った直前の事実が記憶に新しい。
 テレビが茶の間に入り込み、一軒に一台から一人に一台まで普及しつくし子供部屋まで占領するに立ち至った。いきなり、なぜ、こんなことをいい出すのかというと、テレビを用いた詳細面接調査を数多くこなした専門家が「テレビにはステイタス付与機能がある」といっているからである。たとえば、テレビCMの効力は商品を売り込む以前にメーカーに対する信頼感を消費者に植えつけるのだそうだ。だから、結果として商品が売れるのだという。
 視聴者はテレビCMをつくるのに莫大な費用がかかり、テレビで放映するにはさらに巨額の予算が必要だとすでに知っていて、それゆえに「テレビでCMをやるようなメーカーの商品なら安心して買える」という思考の流れになっていく。
 あるいはテレビの画面に定期的に露出、その後、政界に転じたタレントの支持率の高さの秘密も、実はテレビ媒体が持つ魔力のなせるわざであるという。テレビ時代の申し子ともいうべき彼らは、そうした効果をしっかり見極めたうえで、政界に転じてからもテレビ出演を積極的に心がけている。だれと名を挙げていわなくてもわかるはずである。
 そういう価値創造作用ないしはステイタス付与機能を持つに至ったテレビが一軒に一台どころか一人に一台というかたちで国民の生活を支配するシチュエーション、これこそ総選挙の結果と並ぶ程の大きな問題ではないか。
 私たちはテレビなど想像もできない時代に生まれ、テレビが登場した時代にはさいわい自分で考え学ぶ力を持つ頭になっていた。ところが、知らない間に時代が進んで、生まれたときからテレビがあったマルバツ世代が社会人となり、世の中の中堅どころを占めるようになった。さて、彼らは自分の頭で考え学ぶ力を持つのだろうか。
 私たちがいちばん知りたいのがその答えである。マスコミは選挙予測、内閣支持率調査といったことにばかり夢中になっていないで、自分たちの影響力を反省的に認識し、「製造者責任」の観点から、視聴者に与えている影響の実態こそ調査をすべきだ。そのためにも、巨視的な視点からテレビと視聴者の関わりという歴史上かつてない大変革に着目し、解明する義務がある。

2009年7月31日 (金)

横浜・明日への提言(79)もって中間回答に回帰しよう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平 成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 ようやく解散総選挙の運びとなったが、選ぶほうの国民に問題はないのだろうか。今の日本国民は小泉劇場政治の後遺症で、二者択一のシングルイシュー病にかかってしまっている。選ばれるほうはいうまでもないと思うが、このうえ選ぶほうがどうにかなっているようだと大変なことになりかねない。
 構造改革を唱えた小泉元首相は、右か左か、白か黒か、反対か賛成か、何でも争点化して一方的に決着をつけようとした。自分が唱える改革に反対する者は抵抗勢力と決めつけ、選挙のときには同じ自民党の仲間に刺客を放ってまで叩きつぶした。こういうやり方は日本人の精神的古典にはなかったものである。にもかかわらず、マスコミは挙って喝采し、日本国民はちょうちん行列をやりかねないほど熱狂した。
 かつての世論調査では、右か左か、白か黒か、マルかバツか、反対か賛成かを問うと、必ず「どちらともいえない」という中間回答が半数近くを占めたそうである。右もよし左もよし、白も黒も捨てがたい、反対意見にも一理あるし、賛成の意見にもうなずける部分があるから、どちらとも決めかねるというのが中間回答である。すべてにつけてものの見方が肯定的なのである。それだけ判断の幅が広いわけで、他の質問項目と関連づけて多重分析にかけると、反対、賛成を明快に答えたグループより味のある意見分布を見せるそうである。すなわち、極端な意見にひきずられない「自分なりの判断ができる」グループが日本人の半数を占めることにより、世の中の変化にさらされても急激におかしくなる心配がなかった。そういう意味では8割前後に達した小泉内閣支持率は統計学上からあってはならない数字だったといわれる。
 小泉元首相のサプライジング郵政解散で今の与党は3分の2を越す議席を得たわけであるが、7割を超えた支持率も同断である。しかも、よいとこ取りで残りはカスばかりなりと見極めをつけると、本人はさっさと食い逃げ的に首相の座から降りてしまった。あとには消費税増税を断行しないかぎり何もできないシチュエーションのみが残った。だから、貧乏くじを引いた後継首相の三人にかぎらず、だれがやってもどうにもならない。しかし、消費税増税をいったら選挙に惨敗する。そうした状況のどんづまりで行われるのが今度の総選挙だ。
 世論は民主党に政権を取らせる風向きのようだが、消費税はむこう4年間上げないという。4年間はさしたる進展が期待できないということだ。したがって、私の答えは「どちらともいえない」である。それでは投票にならないから政党ではなく人物で選んで決めるが、この中間回答にはいろんな含みがある。それをこれからいろんな角度から考えることにするが、最早、自民だ、民主だというようなことで解決のつく段階ではなさそうである。しっかり反省して中間回答すなわち「中庸」の味をよく噛み締め、かつての自分を取り戻すための試みから始めないと何も変らないのではないか。

2009年7月15日 (水)

横浜・明日への提言(78)一つのことをとことん掘り下げよう

78

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 日本人の表側のDNA、勤労精神、裏表がない、手抜きしない、この三つ美徳の根底にある裏側のDNAがGNO、義理・人情・恩返しである。感動なくして勤労精神なし、GNOなくして感動なし・・・。
 日本の戦後史をあらためて振り返ると、最初は何もなかったから「日本は文化国家でいこう」と決めた。文化住宅、文化包丁、文化何々、つくるものすべてに「文化」を冠した。やがて、ソニーが世界初のトランジスタ・ラジオを発売して世界を席巻し、日本が経済大国へ突き進むきっかけをつくった。そのソニーの創立精神に「いたずらに規模の大を追わず」というのがある。世のため人のために一つのことを深く掘り下げて、なおかつ義理・人情で裏打ちしたのが創業者の一人、井深大さんだった。
 井深さんはよく一人で社内を見回ったそうだ。イギリスへ赴任が決まったある社員が、自分のデスクのかたわらに人影を感じて顔を上げると、目の前に井深さんがいて、「仕事、楽しいですか」と声をかけてきた。その社員は思わず涙がこぼれそうになったという。そうした感動からソニーマンの類い希な開発能力と開発努力が生まれたのだと思う。
 功なり名を遂げ最晩年の井深さんに次の質問をした人間がいた。
「今、何を一番やりたいですか」
「小さな会社をつくって、またいろいろチャレンジしたいね」
 それが亡くなる直前の井深さんの答えだった。
 大田区界隈の町工場の経営者たちも、かつてはいたずらに規模の大を追わないで一つのことをとことん掘り下げることに生きがい、働き甲斐を見出した。ところが、大企業を中心に文系出で総務・財務畑出身の社内エリートが企業を牛耳るようになってから、内に節減、外にはコスト削減のバカの一つ覚え、みずから意欲を燃やすのはM&A(企業買収)などの投資案件ばかり、一つのことに打ち込むといっても、これでは困る。だから、「今、日本で、何が起きているのか」と外国人を驚かせるような事態になった。資源の乏しい日本が欧米並みになったら互角どころか、それこそおしまいになるのは当然である。
 かつてのソニーでは、もう一人の創業者盛田昭夫さんが入社式でよく新人に次のように呼びかけたそうだ。
「ソニーで働いても楽しめないと思ったら、すぐに辞めなさい」
 新人のためを思っての言葉だ。
 ソニーという会社を通して「世の中のため」に働くのであって、ソニーという会社のために働くのではない。そういう考えに徹していたから、井深さんの「仕事、楽しいですか」という呼びかけになり、盛田さんの言葉になるのだろう。ソニーは、いわば社会貢献企業だった。それがとりも直さず横浜エフエム放送、ミナト・ヨコハマで働く仲間への私の気持ちである。いつかそういう志を持つ企業を連帯させるような試みを実現したいと念じるこのごろである。

2009年6月30日 (火)

横浜・明日への提言(77)いっそ選挙をなくしてしまったら

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 政治家が口を開けば選挙、考えることは票の読み、まるで選挙のために政治があると錯覚しているとしか思えないていたらくである。選挙があるために政治家が国家国民のためを思えないのなら、いっそ向こう10年間ほど選挙を休止して、政治家が政治の何たるかに目覚めて貰うほかないだろう。突拍子もない提案と思われるかもしれないが、選挙が選挙の意味を失いつつあることは事実だし、日本の政治家が自分たちのことしか考えられなくなってしまったのだから仕方がない。
「向こう10年間、選挙をなくすから、真正面から政治に取り組め」
 有権者はそれぐらいの声を挙げてもよい。むしろ、そうすることが義務だといわなければならないくらい政治が選挙にスポイルされた。
 マスコミが垂れ流す世論調査結果も考え直す必要がある。
 世論調査というが、内閣支持率一つを取り上げても、各新聞で数値に開きがある。一致するのは傾向を表すパターンにすぎない。調査の専門家にいわせるとそれでよいのだそうだ。調査はもともと傾向を知るのが目的で、善悪・適否など質的尺度を持つわけではないし、あたかも何かを決定するかのようなマスコミの使い方に欺瞞性があるのだという。
「調査機関は世論調査とはかくかくしかじかこういうもので、こういう正しい使い方をしないといけないというメッセージを発しないといけない時期にきている」
 だが、正しいメッセージを送ろうものなら調査の依頼がこなくなる恐れがあって無視されがちだそうだ。
 国家国民のための公益意識は識者や政治家の頭からどこへ消えたのか。どちらを見ても目先の自分の利益最優先、そこへもってきて国会議員の世襲問題までからんできた。地方議会は世襲オッケー、国会は世襲ノーとして私の意見は前に述べた通りであるが、いずれにしても、世襲禁止を世の中は待ってくれない。しからば、どうすればよいのかというと、「着座席御免」の長老をあてがう方式がある。若くても諸葛孔明のような人であればなおのことよい。
 着座席御免の実例を紹介しよう。
 岸信介内閣で外務大臣を務めた藤山愛一郎さんは、藤山財閥の御曹司で「絹のハンカチ」といわれたくらい世間に疎いお坊ちゃんだったが、秘書に着座席御免の人物を置いたから役目が立派に務まった。もっとも、藤山財閥をつぶしてしまったくらい井戸塀に徹したが、政治の面ではしくじるどころか立派に役目を果たしたわけである。以上のように既存の政治家に着座席御免の実力者をつけて補佐させる。こちらは選挙がないから政治家と刺し違えてでも政治に向き合わせることに専念すればよい。
 今回は一度にいくつかの提案を試みた。「何がよい、何が悪い」の議論もよいが、そろそろ「ガラガラ、ポン」で結果に結びつきそうな方策を選択する時期にきているのではないか。

2009年6月14日 (日)

横浜・明日への提言(76)手本にすべき時代を探そう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 人口が減りつつある国が繁栄した例はないという。経験則だからこれからも必ずそうなるということではない。しかし、何の対策も講じなければ経験則に嵌まってしまう。
 歴史に無関心な国民ばかりの国が繁栄した例もないという。歴史に関心を持てば自分の国に対する誇りが生まれる。しかし、歴史に漫然と関心を持ってもとりとめがなくなってしまう。
 私の場合は父親を人間としてのありようの古典として毎日のように親子の歴史を読み返している。大学で一番尊敬する人間を挙げよといわれたとき、私は迷わず「藤木幸太郎」と答えた。そんな私が親父以外に感動を覚えるのは「日本のおとうさん」ともいうべき大田区界隈の町工場の経営者である。
 戦後、メーデーが盛んになり、労働法が整備されて、町工場の工員まで赤いハチマキをしてストライキをやるようになった。従業員をわが子のように思うおとうさんたちにとっては裏切られたような気持ちがした。けれども、おとうさんたちは従業員を悪く思いもしなければ叱りもしなかった。それなら俺たちも労働法を勉強するんだと決意してみずから意識改革に取り組んだ。そうすることによって経営者と従業員の意思の疎通が劇的によくなり、結束力が強まった。
 江戸時代の日本、寺子屋時代の日本、明治の日本、どの時代を切り取っても根っから働き者である日本人の姿が浮き彫りになる。まわりでみているから働く、見ていないからさぼる。そういうことをしない。むしろ、見えないところに工夫を凝らして丈夫で長持ちする製品をつくって使う人に喜んで貰おうとする。だれかにいわれてそうするというより、気がついたらそうしていた、それが日本人のDNAなんだろうと私は思う。だから、日本人は日本人であることにもっと誇りを持つべきだ。
 ところが、欧米が日本人は働きすぎだと非難すると、政府は余暇開発センターを新設したり、国民の休日を増やして月曜日を振り替え休日にして連休を増やした。
 その日本が今どうなっているか。
日本製品の品質のよさに太刀打ちできないで、日本人は働きすぎだと非難してきた欧米の政財界人が「今、日本で何が起きているのか」と理解に苦しむコメントを発表するほど薬が効いて、急転直下、日本の企業の品質管理がおかしくなった。
 日本の近代史、戦後史の一ページを切り取っても、劇的なドラマがある。そこから時系列的に枠を広げていく方法もある。
 日本人はどの時代を手本にすればよいのか。
 そうした考え方をすれば、批判のための批判に明け暮れるマスコミ世論に惑わされることなく、自分の考えで生きていくことができるのではないか。本来、自分流というのはそうしたものであろう。

2009年5月31日 (日)

横浜・明日への提言(75) 江戸時代の暮らしを見直そう

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 私は明日の展望は自分で開こうという呼びかけを行っている。前回は理念論だったが、今回は実践論である。
 景気が悪いといっても所詮は銭金の問題だ。個人にとってはないときはないなりに暮らす方法がある。それが江戸時代の暮らしだ。蛇口をひねればお湯が出るような暮らしが本当にゆたかなのか。七輪で炭をおこしてやかんを乗せて湯をわかしておとうさんが髯を剃るまで30分かかるとしても、それでよかった時代があった。
 なぜ、よかったのか。
 江戸時代は完全自給自足の経済が成り立っていた。昭和初期くらいまでの暮らしも食べ物の自給率も極めて高かった。貧しくても食べ物が手に入らなくなるといった不安はなかった。みんなが安心して暮らせた。それが今はどうか。食材の大半は輸入物で、自給率は低くなる一方で、輸入品を国産と偽ったり、冷凍食品に農薬が混ざっていたりする。世界同時不況のように世界同時不作が起きたら、日本はどうなるのか。
 私が推奨する江戸時代の暮らしには、もう一つ大事な意味がある。それが個人単位で行う自給自足の暮らしである。専門家にいわせると百坪前後の土地があれば人間一人の自給自足が維持できるそうだ。それで田圃をつくり、畑を耕せば、米と大概の野菜は収穫できるらしい。それでいて、農作業に必要な時間も一日あたり1、2時間も割けばよいという。だから、晴耕雨読的に会社に勤めながら自給自足が達成されるわけである。ただし、それだけでは動物たんぱく質が得られないから、ニワトリを飼う必要がある。問題は住まいの近くにどうやってそれだけの土地を探し、作物を栽培するノウハウを身につけるか、ということである。自給の暮らしを途中で投げ出す人の原因の多くはノウハウの習熟の失敗にあるそうだから、もちろん、事は簡単ではない。
 そこはやはり、国なり地方自治体の覚醒と施策にまつ必要がありそうだが、やってみる値打ちはありそうだ。食料自給率のアップは何も専業農家の努力に帰する方策だけとは限らない。国民運動レベルで考えれば個々の単位は小さくてもかなりの効果が期待できるのだから。
 風が吹けば桶屋が儲かる式の試みだが、個人的に自給自足の暮らしを実現した人は世界同時不況も関係なく日々を送ることが可能になるから、これほど大きな安心はない。安心が生まれれば明日の展望も開けようというものではないか。
 又聞きだが、西湘方面でそういうことを提唱して実際に着手した人がいるという。やるかどうかは個人の決断一つにかかっている。