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2010年8月31日 (火)

横浜・明日への提言(103) まだ65年だ、忘れてはならない

103

横浜エフエム放送株式会社
取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器・薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 去る8月半ばに80歳の誕生日を迎えた。この65年前の中学3年生は、激しかった米軍のじゅうたん爆撃の中で生き残り、軍国少年という精神衣装を剥ぎとられて、味も嗅いも知らなかったデモクラシィというコスチュームを無理矢理に着せられたあの日あの頃のことを、今更ながら想い返している。
 多勢の日本人が、あの戦争で死んでいった。中学の同級生も空襲のとき死んだ。地獄のような煙火の中を必死になって這いずりまわり、手をつないで逃げていたとき、彼だけが死んだ。
 平和というものは無い。
 人間社会のあるかぎり、争いは絶えない。現に地球儀の上で、規模の大小こそあれ、戦の絶えた瞬間がひとときでもあったろうか。
 3000余の種類を持つといわれる人間たちの言語のほとんどが、「平和」というコトバを持っていない。「戦争と戦争の間」という表現があるのみである。
 人が集まれば集団になり、国とか、民族とか、思想とか、欲望とか、正義とかがそれぞれ生まれてこれらのすべてが争いの火種になっている。だから「戦と戦の間」はあっても、「平和」は無いのだ。
 日本でも戦争が終わったのは65年前で、今後二度とないとはいいきれない。65年を「まだ65年」ととらえれば戦争と戦争の間という認識を持たねばならない。少なくとも「平和」は人から貰うものではない、ましてやひと任せや下請け依存で保てるものではない。デモクラシーというコスチュームだけで今の平和が維持できるだろうか。
 世界の趨勢を眺めればいつ「戦争と戦争の間」が終わりを告げてもおかしくない。そのときになって何が必要かに気づいたのでは遅い。平和と幸福は自らの努力でつくってこそ実感できるものだから、不断に試みられていなければならないのだ。努力しないでも今が平和で幸福なら、それは家族や友人が与えてくれているのだから、そこに感謝の気持ちが生まれなかったら、平和も幸福も自分のものにしようという気にならないだろうし意味は薄れる一方となろう。
 感謝という言葉はありふれて用いられるが、見つめなおして噛み締めると、意外に深い意味を持つことがわかる。敬い、へりくだり、感謝を述べる人の姿は美しく神々しくさえ映る。
 そして、「感謝を知る人間が争いを解決の手段に用いるはずがない」という言葉もある。