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2010年7月31日 (土)

横浜・明日への提言(102)野戦病院の院長タイプのリーダー

102

横浜エフエム放送株式会社
取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器・薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 どの時代でも悩みを持たないことはないだろう。問題もたくさん抱えているはずだ。それらをどのようにして解決するか、大別すると二つあると思う。医学にたとえれば病理学的研究にウエイトを置いて解決の方向性を明示するやり方、もう一つはそういう理屈で考えることより、まず体が反応して臨床学的に取り組むやり方。昔の人は野戦病院の院長みたいなもので、その場その場で解決したり、手をさしのべる、いってみれば臨床学で、理屈で解決したり、言葉だけですませるのとはわけが違う。とにかく、手をさしのべるのが先で、理屈はあと。
「あれはやらなくてよかったかなあ」
 考えた結果、反省することもあると思う。
 だけれども、やったうえでの反省だから、必ず次につながっていく。トップなり、リーダーが、そうした経験則から見通しを得て、「こっちだ」と明快に行く先を明示した。
 決まったらやる。とにかく、動く。リーダーから末端まで迷いがなかった。こういう一丸は強い。失敗しても、ああ、そうかと学んで、もう、次の行動に移っていた。あらゆる産業分野の各個単位がそのようだったから、全体に集積されたときはものすごいエネルギーになった。ものづくりニッポンの強みがそこにあった。
 今はそうじゃない。一見、集合して一丸となっているように見えて、実は行列症候群という病理現象なのだそうだ。なぜ並ぶのかというと、行列に加わらないと世の中に乗り遅れると錯覚して、次第に行列が長く伸びるのだという。
 世の中のために働く立場にある人でも、病理学的な研究が先で、問題があっても受けつけないし、手をつけようともしない。これを先送り症候群という。最近の例でいうと、構造改革の後遺症で重体の患者を放りっぱなしにして検査ばかり繰り返して治療をしない。最悪なのが競争原理や市場第一主義のような間違った理論をいきなり実践してしまうことだ。ただし、批判や批評は病理学的診断で処方箋ではない。
 しからば、どうしたらよいのか。
 私の場合は父親が処方箋で、何をするにしても、「おやじだったらどうするだろうか」と自問自答してから行動した。8月の18日に80歳になろうとする今日でも変わらない。今でも世の中を愛し、責任を感じ、「なるときの太鼓」で叩きにきてくださる方がいるかぎり鳴ろうと努めている。常に臨戦態勢にある。いかにして人をつくり、育て、リーダーに仕立て上げるかという喫緊の大きなテーマがあるが、私の場合はこうだったとしかいえないのが残念である。