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2010年5月

2010年5月31日 (月)

横浜・明日への提言(98)何か忘れちゃいませんか

98

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 古い話だがプロゴルファーの草分け的存在だった中村寅吉プロを思い出して今の日本が過去に実に大きな忘れ物をしてきたことに気づいた。まだ「ジャンボ尾崎」といわれる前の尾崎将司プロが、関東プロなどのトーナメントに出場してくると、協会はわざと寅さんと組ませたそうだ。
 大相撲の世界も上下関係が厳しいが、プロゴルフの世界はそれ以上で、中村寅吉といえば神様みたいな存在だったから、尾崎は「キツイなあ、大変なのと組まされちゃった」という思いだったろう。
 もちろん練習ラウンドの話しだが、寅さんは、組んでまわる尾崎に、「尾崎っ、九番持ってこい!」と怒鳴る。尾崎は口にこそ出さないが、顔つきから、「俺は選手だよ、キャディじゃないよ」といいたい気持ちが伝わってきた。だが、何もいえなかった。
「尾崎っ、もたもたすんな!」
「はい。わかりました」
 出だしから、尾崎はリズムが狂って、ゴルフがおかしくなった。
「尾崎っ、五番持ってこい!」
 寅さんと組まされた尾崎は、横綱の前にでた幕下以下の扱いだった。
「尾崎、八番!」
 寅さんに最後までこの調子でやられて、尾崎はものの見事に沈没してしまった。あんまりな扱いなので、ホールアウト後、私は寅さんに抗議した。
「先生。ありゃ、ひどいよ。自分にはちゃんとキャディがついてるのに、相手の選手にクラブを持ってこさせるのは、おかしいじゃないか」  
 すると、寅さんがいった。
「あいつに旗取らしたら終わりだ」
「どういうことよ」
「社長。見ててごらん。トーナメントで一度でも旗を取ったら、あいつは日本の旗を全部取る。だから、おれとまわってるときは、旗をとらせないんだ」
 果たして、尾崎は寅さんのいう通りになった。
 ジャンボ尾崎の大成は長い時間と渾身の努力を続けないと越えられない高いハードル(指導者)にめぐまれたからであった。尾崎に寅さんと組む機会を与えた協会もすごかった。
 それに比べて、プロゴルフ界にかぎらず、どの分野にも、長く君臨をつづける寅さんのような大御所が出なくなった。世界に君臨した日本のものづくりのタガが緩みだしたのも、寅さんが引退する少し前あたりからであった。
 民主主義とは何か。どうあるべきか。
 使用前・使用後の日本と日本人について検証する必要がある。私も縁台のお殿様になりきって大いに書生論を述べていくつもりだ。

2010年5月15日 (土)

横浜・明日への提言(97)縁台のお殿様になろう

97

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 書生論を本気でする者がいなくなった。話しても自分にはやれないことと知りながら、世の中のこと、大きな夢を語る「縁台のお殿様」がいなくなった。
 これほどさびしいことはない。
 まさか分業が進んだせいではないと思うが、世の中は政治家任せ、自分たちは「ここへ行くといくら稼げるぞ」とか、「あそこはメシがうまいぞ」とか、こせこせしたことばかり考えるようになってしまった。
 遠大な夢、理想・・・。
 これも死語化してしまった言葉だろう。
 これほど由々しいことはない。
 人はだれであれ、その人なりに夢の一つや二つは持つものだ。その夢のすべてがかなうとはかぎらない。仮に50パーセントしかかなわないとするなら、夢そのものの大小なり質が問われることになる。数字に意味があるわけではないが、仮に千の大きさの夢と百の大きさの夢があったとする。みんなが同じ努力をしてかなうのが半分とした場合、結果は五百と五十という差になって現れる。
「全力投球をした。自分は満足だ」
 結果より過程を重視する考え方からすれば、それで大満足だろう。しかし、逆もまた真なり式にいうと「だったら、ラクな百の大きさでいこう」となりかねない。
 前回のように「しっかりしろ、高齢者」式にいえば、縁台のお殿様こそ高齢者向きの役割である。縁台がなくなったのは事実だが、お殿様のなり手がいなくなったわけではない。最大の取り得が民主主義使用前と使用後の日本と日本人を見て知っていることだ。衆愚ボックスとまでいわれるようになったテレビの使用前と使用後も経験してきた。
 分別に加えて見識を備えているとなれば最強の縁台のお殿様である。
 シンデレラ・ボーイではないが、人知では計り知れない運命の働きで社会的に場を与えられたようなときには日頃の書生論がすぐに役立つ。
 内閣支持率何パーセントといっても、「犬がみてても視聴率」と同じ類で、どんな人間がパーセンテージを構成するかはわからない。縁台のお殿様だけを対象にした世論調査を企画して一般の世論調査結果と対比するようにしたら、どちらの数字も意味が深まるのではないか。立っているものは親でも使えというぐらいだから、縁台のお殿様も使いようである。