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2010年1月

2010年1月31日 (日)

横浜・明日への提言(90)暴力資本主義、待った 

90

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 ヘッジファンドのマネーゲームに象徴される強欲資本主義が個人主義と結託した状態を私は「暴力資本主義」と呼ぶことにしている。そもそも資本主義は何かといえば、人間が生きていくために必要とする製品をつくり、販売することで利潤を追求するのが本来だった。資本も生産のための潤滑油として機能した。投機性のない純然とした投資であり、投資家は企業を育てる楽しみを知っていた。企業の成長につれて国民の生活レベルも上がり、それがまた企業の成長の原動力を生み出した。今思うと極めて健全な資本主義だった。
 ソニーがトランジスタラジオを世界中に売りまくって中小企業から一躍一流企業にのし上がり、日本のものづくりの世界進出に先鞭をつけた結果、ものづくり立国といわれるほど日本の製造業は活発になって、働く労働者もまた中産階級にのし上がった。日本が一億総中産階級化するという輝かしい時代が到来した。
 世界に冠たる「総中産階級社会」を維持するためにありとあらゆる規制を駆使していかなければならないはずだったのだが、日本の政府は外圧に屈して金融の規制緩和に走ってしまった。バブルとバブルの崩壊という日本経済を襲ったダブルショックの原因は多々あるだろうが、東京が世界の金融センターになったという錯覚と奢りから、「ものづくり立国」という本来の姿を見失ったのが最大の原因で、そのツケは実に大きかった。
 日本のバブルとバブル崩壊はアメリカが仕掛けた金融戦争(仕手戦)に敗北した結果といわれるが、勝ったのはアメリカではなく一握りのヘッジファンドだったという。
「日本が金融の智恵で世界に太刀打ちできるようになるためには、教育から改革していく必要がある」
 勝者アメリカの金融アナリストはこのように豪語した。
 金融理論を完全にマスターしているのは世界でもほんの一握りの人間しかいないそうだ。そんな奴らで固めたヘッジファンドを規制緩和で後押しして野放し状態に放置したのが市場原理主義者の構造改革だった。
「儲けたい人はいくらでもどうぞ」
 こんなバカな話はない。儲けること自体が目的化してどうすんだ。ごく一部の人間にしか理解できない金融など話にならん。金融システムの規制強化で実体経済の安定化を図るなど、対抗すべき智恵はいくらでもあるはずではないか。勝った負けた、金の多寡、そんなものを価値判断の尺度にするようなことはやめよう。まっとうに汗をかいて稼ぐ、足りないときは分け合う、困ったときはお互い様で助け合う。こういう尺度で世の中を築いていこう。
 まず、「隗より始めよ」である。経営者の一人、団体のトップとして、私は自分が受け持つブロックで、そういう潤いのある組織にするよう努力してきたし、これからもつづける決意である。あとにつづく経営者、団体のトップが増えることを祈るばかりである。

2010年1月15日 (金)

横浜・明日への提言(89) 日本人のDNAを継承しよう 

89

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 アメリカは国民の5パーセントが国の富を独占する格差大国だが、民族的なDNAからするとその5パーセントの大半は伝統的なアメリカ人ではないという。では、どういうのが伝統的アメリカ人の典型かというと『若草物語』に描かれた家族像なのだそうだ。ディズニーランドにアメリカ人が好んで足を運ぶのは古きよきアメリカへのノスタルジーからなのだという。
 そういうものかもしれないという程度に専門家の話を当座は聞き流したが、この不景気にもかかわらず日本のディズニーランドがますます盛況となると、では日本人はなんでそんなに行きたがるのかと真剣に考えざるを得なくなってしまう。
 太古の日本列島は一時期アジア大陸とつながっていたそうだが、最後の氷河期が終わり、縄文時代の7、8千年は分離し孤立していたといわれている。日本人のDNAが形成されたとするなら、恐らくこの間ではないだろうか。しかし、それでは、日本人のDNAがどのようなものであったか、類推するにしても判断材料が乏しすぎる。そこで、鎖国250年の江戸時代をもとに考えてみることにした。
 江戸時代は鎖国だから自給自足であり、縄文時代と条件が一致する。大幅に異なるのが加工技術と道具の進歩だが、江戸時代の職人は自分の手に合った道具づくりから始めなければならなかったから、今日と比較した場合にはむしろ縄文に近いだろう。
 毎日の食卓を限られた主食と副食で賄うとしたら、どういう問題が起きるだろうか。変わり映えしないからいつかは飽きがくる。そこで、まず旬のものが尊重された。しかし、それにも限界がある。季節の制約を受ける限られた食材で飽きない食事を一年365日実現していくには味噌、醤油などの調味料に加えて、調理法のバリエーションの確立が必要になる。それはまさに体系といえるほどのもので、素材、調味料、調理法を組み合わせた江戸時代のノウハウが再現できたら、現代の料理人は恐れ入ってひれ伏すだろうとさえいわれている。
 工芸関係についても同じことがいえそうだ。日本が経済大国になれたのは日本のものづくりが技術的に世界を席巻した結果であった。それが今は世界並になっているらしい。それだけでも外国のエンジニアは驚いて、「今、日本に何が起きているんだ」と首を傾げていると聞く。
 孤立した島国、鎖国状態で日本人が生き抜くには義理・人情・恩返し(GNO)の精神的な体系化も必要だったろう。GNOを下敷きにして『忠臣蔵』『南総里見八犬伝』などの時代物、『曽根崎心中』『心中天網島』『東海道四谷怪談』などの世話物として結実をみた。物の問題は創意工夫で解決がつくが、互助結束の精神を伴わなかったら社会的な広がりを持たなかった。日本人の悪い面もあるにはあるが、まずよい面から確実にものにしていくことが、DNA再発見、復活につながるはずである。そういう意味で今年も機会があればGNOを訴えていきたい。

2010年1月 1日 (金)

横浜・明日への提言(88) 情報提供元年にしよう 

88

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 今年の年頭所感は今年を「情報提供元年」にしようという提案である。情報公開は国民や市民から請求があった場合、文書などの情報を公開するという消極的なもので、いわゆる揚げ足取り的に用いられやすく、それが国民・市民に多用されたら間違いなく国家・地方自治体の組織機構はマヒするだろう。それに対して情報公開は高度のノウハウを必要とするが、提供した情報が活用されればそれに比例して世の中の認識が深まる利点がある。
 どういうことかというと、終戦直後、連合軍占領下の内閣総理大臣幣原喜重郎は戦前から親英米派であったことから憲法九条の成立に大きな役割を果たしたように誤解されてきたが、ある事実を知って私は認識が一変した。事実はどうであったかというと幣原喜重郎はみずから中心になって日本独自の憲法草案を起草したのだが、GHQに大鉈を振われ、遂には憲法九条を受け容れなければならなくなったとき、内閣全員が悔しさのあまり男泣きに泣いたというのである。憲法九条成立時の総理だから大きく役割を果たしたように誤って伝えられたのだと思うが、真実はまるで逆であった。
 事実を事実として伝えるか、事実をもとにした解釈を伝えるか、大いに考えさせられたのが、小泉内閣で金融経済政策担当大臣を務めた竹中平蔵慶応大学教授(元参議院議員)が大臣在任中頻繁にアメリカ詣でを繰り返したこと、それを本人が認めたという小さな囲み記事がある大新聞の紙面に載ったときであった。具体的な回数と個々の目的が明記されていたら事実報道になったのだろうが、頻繁という表現は取材した記者の解釈だからうっかり引用できない。つまり役に立たない。恐らく記者は抽象的な表現でも竹中氏が何か事あるごとにアメリカ本社へ報告に行って今後のおうかがいを立てるアメリカ日本支社総務部長的役割を果たした、読者はそう理解できるはずだと勝手に解釈したのかも知れない。
 まず事実を伝える。そこから入るのが基本で、解釈論から入ると落としどころが見つからないまま泥沼にはまってしまう。その典型例が日本の歴史の記述で、従来から百人いたら百人の勝手な解釈論で論争が行われてきた。だから、歴史の記述が事実からどんどん遊離していってしまう。聞くところによると、今、日本史に必要なのは事実が提示されたら即解釈するのではなく、前後の事実との合理的整合性をも含めた検証、その方法論の確立だという。
 確かに事実は解釈より重い。幣原喜重郎以下内閣全員が泣いた事実を知っただけで、私の憲法観は一新された。しかし、憲法改正は手続き的にむずかしい面があるから、せめて政府には国会の審議で実現可能な国産「教育三法」すなわち改正法などではない学校教育法、地方教育行政法、教育職員免許法を誕生させて欲しいと望むようになった。
 どうぞ、本年もよろしく。