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2009年5月

2009年5月31日 (日)

横浜・明日への提言(75) 江戸時代の暮らしを見直そう

75

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 私は明日の展望は自分で開こうという呼びかけを行っている。前回は理念論だったが、今回は実践論である。
 景気が悪いといっても所詮は銭金の問題だ。個人にとってはないときはないなりに暮らす方法がある。それが江戸時代の暮らしだ。蛇口をひねればお湯が出るような暮らしが本当にゆたかなのか。七輪で炭をおこしてやかんを乗せて湯をわかしておとうさんが髯を剃るまで30分かかるとしても、それでよかった時代があった。
 なぜ、よかったのか。
 江戸時代は完全自給自足の経済が成り立っていた。昭和初期くらいまでの暮らしも食べ物の自給率も極めて高かった。貧しくても食べ物が手に入らなくなるといった不安はなかった。みんなが安心して暮らせた。それが今はどうか。食材の大半は輸入物で、自給率は低くなる一方で、輸入品を国産と偽ったり、冷凍食品に農薬が混ざっていたりする。世界同時不況のように世界同時不作が起きたら、日本はどうなるのか。
 私が推奨する江戸時代の暮らしには、もう一つ大事な意味がある。それが個人単位で行う自給自足の暮らしである。専門家にいわせると百坪前後の土地があれば人間一人の自給自足が維持できるそうだ。それで田圃をつくり、畑を耕せば、米と大概の野菜は収穫できるらしい。それでいて、農作業に必要な時間も一日あたり1、2時間も割けばよいという。だから、晴耕雨読的に会社に勤めながら自給自足が達成されるわけである。ただし、それだけでは動物たんぱく質が得られないから、ニワトリを飼う必要がある。問題は住まいの近くにどうやってそれだけの土地を探し、作物を栽培するノウハウを身につけるか、ということである。自給の暮らしを途中で投げ出す人の原因の多くはノウハウの習熟の失敗にあるそうだから、もちろん、事は簡単ではない。
 そこはやはり、国なり地方自治体の覚醒と施策にまつ必要がありそうだが、やってみる値打ちはありそうだ。食料自給率のアップは何も専業農家の努力に帰する方策だけとは限らない。国民運動レベルで考えれば個々の単位は小さくてもかなりの効果が期待できるのだから。
 風が吹けば桶屋が儲かる式の試みだが、個人的に自給自足の暮らしを実現した人は世界同時不況も関係なく日々を送ることが可能になるから、これほど大きな安心はない。安心が生まれれば明日の展望も開けようというものではないか。
 又聞きだが、西湘方面でそういうことを提唱して実際に着手した人がいるという。やるかどうかは個人の決断一つにかかっている。

2009年5月14日 (木)

横浜・明日への提言(74) いかにして明日への展望を開くか

74

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長、株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 今、世界の港湾で何が起きているかというと、シンガポール港沖には300隻ばかり船が停泊していて動けない。釜山も高雄も灯が消えたようになっている。横浜も例外じゃない。船を動かそうにも運ぶ貨物がないためだが、こんなことは一年前までは考えられなかった現象だ。
 大変だと思うような現象はまだある。少し前までは一日も早く荷物が欲しいというユーザーの要望に応えて、太平洋航路とアメリカ大陸横断鉄道を直結して東海岸の港へ運ぶ時間の短縮を図る動きがみられた。しかし、船会社がレールに頼ってよいのかという理屈で、高速貨物船が建造されて投入されることになった。ところが、いざ就航という段になったら、重油の高騰に追い討ちをかけて起きた世界同時不況で運ぶ貨物がなくなってしまった。現在ある船だけでも余っているのに、新造船がどんどん進水してくる。どうすんだといっても、運ぶ貨物がないからどうにもならない。すでに成約を見た貨物も、ユーザーの倉庫が在庫でいっぱいなため、できるだけゆっくり持ってきてくれという。速すぎても油を食うし、遅すぎても重油を多く消費する。経済速度は17ノット、約50キロだから遅くしてくれといわれても困るわけである。だから、高額な通行料を払うスエズ運河を使う船が激減して、みんな喜望峰まわりで時間をかけて経済速度で航行している。海運界、港湾業界はこうしたダブルショック、トリプルショックに見舞われている。
 ところで、「明日を開く」という言葉がある。よい意味でも、悪い意味でも、今日、最も縁遠い言葉になってしまった。見渡すかぎり、どこもかしこも景気が悪い。一部には例外もあるようだが、兎に角、対症療法に追われて展望が開けないのだから仕方がない。
 だからといって何もしないでいたら、ますます展望は開けない。
展望の基本は何かといえば、雇用だ。雇用が一番の経済活動なのだから、土台ともいうべきこれをやめたら展望など開けるわけがない。だから、経営者と会うたびに私はお願いする。
「雇用だけは守ってやってくださいよ」
 こういう時節だから賃金カット、一時帰休もやむを得ない。そうしたことは超越して、兎に角、雇用だけは頼むという気持ちである。
 かつて、私は経営のピンチに直面したが、「従業員を辞めさせるくらいなら、真っ先に俺が辞める」と決意した。結局、賃金カットを余儀なくされたが、「賃金カットではない。貸してくれ」といって頭を下げて頼んだ。そして、約束通りカットした賃金は後にすべて従業員に返した。
 なぜ、雇用をやかましくいうかというと、評論家のように「どういう展望を開くか」をいうより、「どうしたら展望が開けるか」を問題にするからである。雇用という足場さえ確保しておけば、少なくとも今日の用は足りるわけだから明日を考えるゆとりはあるだろうし、攻めの気持ちが芽生えるから、何となく暗い気持ちでその日を送るよりはるかにましだ。その繰り返し、積み重ねが明日を開くのだと思う。そのためにも社長が従業員に「すまない、頼む」と頭を下げる。むしろ、そのことによって、会社が一枚岩になるチャンスのきっかけが生まれる。
 困難に耐える、辛いのを我慢する、この経験も大きな力になる。発想次第で展望の開け方は幾通りにも道筋が見えてくる。