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2009年1月

2009年1月31日 (土)

横浜・明日への提言(67) ピンチをチャンスに変えよう 

67

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 読売新聞1月3日朝刊一面トップの見出しに「規制なき市場経済はない」の文字を見たとき、「ああ、規制強化が今年の新聞マスコミの論説の底流になっていくのだろうな」と私は直感した。
 あえて新聞マスコミを取り上げるのは「世の中への主張の乗り換え名人」として変化の方向性をいつも先取りしているからである。つい、この間まで新聞マスコミの論調は「規制緩和礼賛」だった。小さな政府、民営化、競争原理を政策の根幹に持ち込んだレーガン、サッチャー、小泉純一郎をヒーロー扱いし、結果については言及を避けてきた節がないではない。しかし、遂に結果は出た。一億総中産階級社会だった日本が急転直下極端なかたちで勝ち組、負け組に二大別され、その直後に地殻変動がきた。すなわち、わずかに生き残った勝ち組までもが軒並みポシャって、そして誰もいなくなった観の惨憺たる日本経済。一国の総理が「百年に一度の」と形容するほどの経済危機を目の当たりにして、新聞マスコミは翻然と論調の転換を試みたわけである。皮肉で言うのではなく、それが新聞マスコミの論調の習性なのである。過ちを改めるのに速やかなこと、世の人はもって手本とすべきだろう。
 さて、現下の喫緊の課題は雇用問題だ。新聞マスコミが言い出す前に世の中が教えてくれたのが、近代民主主義社会にあっては雇用こそ経済活動の基本だということだ。ロビンソン・クルーソーではないが、人間一人が生きていくことがすなわち経済活動である。細胞ともいうべき最小単位の一人の暮らしが足りて、はじめて趣味、娯楽、芸術、文化への精神的欲求が熟成し、それらで組み上がって社会的・組織的活動が活性化する。百年に一度の経済危機の引き金となったサブプライムローン問題は返済能力のない個人を借金漬けにしてまで儲けようとした利益至上主義のババ抜きマネー・ゲームの破綻なのであり、そうした無謀まで許したレーガン、サッチャー、小泉純一郎ら一連の画一的市場原理政策が必然的に行き着くところでもあった。
 百年に一度の激震の震源地がわかったのである。改革の痛みに耐えた結果、さらなるとてつもない痛みを思い知らされるというかたちで。これで誰もが目を覚ましただろうと思いたいのだが、まだ改革幻想に取り付かれている向きもいるようだ。しかし、日本国民の大半は、最早、改革幻想から覚めたはずである。何事も覚醒なくして進歩はあり得ないのだから、これが今年一番の明るい話題と思いたいものである。
 覚醒したとして、どうしたら暮らしがよくなるのか。地域がよくなるのか。国がよくなるのか。今となっては家庭で、会社で、地域で、各人が潜在能力を発揮するほかない。どういうかたちでポテンシャルを発揮すればよいのかといえば、もちろん、競争というかたちではない。対決や競争ではなく相談、共同、協力というかたちで日本人の底力がいたる場面で発揮されたら、今日のピンチは明日の大きなチャンスに変わるはずである。

2009年1月14日 (水)

横浜・明日への提言(66)日本はよい国だと思えるように

66

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 昨年末に田母神・前航空幕僚長の歴史観論文問題が起きた。いろいろ批判はあったけれども、「よくぞいってくれた」と感じたのは「日本はよい国だと教えなければ部下に国を守るために命を捨てろといえない」という発言だった。はっとさせられた。自衛隊員のみならず国民の大多数が日本をよい国だと思わなくなったら、何をやろうとしてもうまくいかないからだ。
 歴史の解釈は人によって異なるから百人の人がいれば百の解釈がなりたつというのが私の持論である。だから、対立する歴史観の行司役を買って出てどちらが正しいなどと言い切るつもりはない。
 戦後の日本は戦争の犠牲が大きかったことを反省し、憲法9条を守り抜いて外国の軍隊と一度も戦わなかった。朝鮮戦争、ベトナム戦争、チベット紛争、中東紛争、アフガン戦争、湾岸戦争など世界は戦争の歴史を繰り返してきたが、アジアで戦争をしなかったのは日本だけである。ありがたいことに治安もよく平和でこんなにいい国はない。
 まわりに海千山千の交戦国がひしめいておりながら戦争にも紛争にも巻き込まれなかったのは、戦後の日本にはまだ「サムライ」がいたからだ。サムライを現代風に言い換え「洗練された野人」といってもよい。もっとわかりやすくいえば周囲の雑多な意見に惑わさないで信ずることを実行し実現できる実力者である。
 総理にこそならなかったが、総理の器といわれ、優秀な政治家を育てるのがうまかった前尾繁三郎氏という自民党の派閥の領袖がいた。通商産業大臣、建設大臣などを歴任した小此木彦三郎氏が国政選挙で初当選し在籍する派閥を選ぶことになったとき、相談相手の藤山愛一郎氏は迷わず「前尾派」の名を挙げた。
「立派な政治をやりたかったら前尾繁三郎、偉くなるなら中曽根康弘」
 そういう言い方だったと思う。
 横浜エフエム放送の生みの親の一人秦野章元法務大臣も派閥にこそ属さなかったが、何かあると前尾繁三郎氏の自宅に押しかけて意見を求め、政治家としてのセンスに磨きをかけた。
 ところが、二世、三世の時代になって、長く平和がつづいたためか、サムライがいなくなった。言論の舞台でサムライ的発言をする人はいるが、いわば書斎のサムライであり、政界、経済界の実力者ではない。憂えるとすればサムライがいなくなったことだろう。
 私の初夢といってもよいものだが、その夢の中では、学校とはいわないけれども「サムライを育てる機関」というのがあって、平成のサムライが輩出し機関とワンセットになっていた。どうしたらそれが実現可能となるか、現実の問題として取っ掛かりをどこに求めたものかと思案を始めたばかりである。
 それだけに田母神発言は示唆に富んだものになった。相手が制服組だから文民統制うんぬんの議論になるのだろうが、差し迫って必要なのは「国民が日本はよい国だと思えるような政治・経済・教育」の実現だろう。そのために自分に何ができるかを考えるのが今年の目標の一つになった。

2009年1月 1日 (木)

横浜・明日への提言(65)実体のある経済に回帰せよ

65

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)   

 明けましておめでとうございます。
 年頭に当たって思うことは目標をどこに置くかということで、それが一年を通じて希望にもなり、励みにもなる。そこで思うのは昨年の後半あたりから盛んに「実体経済」という言葉がいわれるようになったことである。こういうときの「実体」は「じったい」と読み、機械、エネルギー、建設、食品など人間の社会生活に必要なものを製造生産する事業をいい、株券、証券化商品など信用という目に見えないものを取引して利潤を追求する金融業を念頭に置いて生まれた言葉だ。しかし、私がいう「実体」は昔から「じってい」と読み、真面目、ひたむきというような意味である。実体経済の実体にコンプライアンスが加わったようなものと理解して貰えばよい。
 正月早々、なぜ、このような言葉を持ち出したのかというと、業界人に実体経済の「実体」を履き違えて貰っては困るからである。実体を「じったい」と読むときには経済のありようが曖昧である。ところが、「じってい」と読むと経済はかくあるべしという語義が実に明瞭になる。
 昨年を振り返ってみれば、たった一年間で世界の趨勢が規制緩和から規制強化へ、競争原理一辺倒から護送船団方式らしき模索の動きへ、目指す方向が一変してしまうところまでいくとは予想もしなかった。
 行きすぎた規制緩和がもたらしたのは勝ち組と負け組の二極化、すなわち一億総中流階級の喪失、それに競争原理の導入が追い討ちをかけて人心の荒廃と社会の殺伐化現象を顕著なものにした。そこへ持ってきて、世界的な金融危機である。これから、どうなっていくか、目下はまだ前兆の段階でわからないわけだが、昨年11月にワシントンで金融サミットが開催され、先進国に新興国を加えた20の国と地域の首脳が「規制緩和、待った」「競争原理、ノー」のシグナルを発した意義は大きい。
 投機ファンドの暗躍で現実の需要と関係なしに原油相場が一気に天井に上り詰め、かと思えばたちまち奈落に向かって下落し、実体経済に深刻な打撃を与えてしまう。投資者の欲のからんだ気分次第で相場が乱高下し価値が一定しない株券、証券会社が破綻すれば紙切れ同然になってしまう証券化商品を資産に組み込む会計制度を採用したため、負の連鎖といわれる株式の世界同時安、金融証券化商品の大幅な額面割れなどで企業会計が真っ赤っかな赤字に転落してしまう。金融は実体経済を活性化させる縁の下の力持ちに徹してこそ実業たり得る。実体経済とは相容れない価値観でマネーゲームを繰り返してきた「金融バブル」がはじけたからには、金融も原点を目指して回帰するほかない。金融に対する規制強化の趨勢は必然の帰結で、むしろ、遅きに失した観がある。
 過去を思えばいまいましく腹立たしいことばかりで気持ちが暗くなりもしようが、そうした思いでいるのはあなただけではない。せめても、明るい光が射してくる方角に目を向けよう。金融バブルが弾けた今、目指すのは実体(じってい)経済への回帰しかないと信じよう。