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2007年5月31日 (木)

横浜・明日への提言(29)  どうせやるなら本当の構造改革

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横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 終戦直後、生産設備、機械、資本、食料など、なにもかもなくして、あるのは何かといったとき、「文化があるじゃないか」というので日本政府が指向したのが「文化国家」だった。文化住宅、文化包丁、文化コンロなどなど、新しくつくるものには片端から「文化」を冠した。近頃の日本も「どうにも止まらない改革指向国家」である。過去のものをいじくりさえすれば改革、何をやるにも改革、改革の連呼、改革国家をめざして本当によくなるなら結構なのだが、パフォーマンスだけで中身が伴わない。改革らしいことをやらないと何もやっていないように思われてしまう風潮もいけないのだろうが、そういう風潮に媚びるだけの改革だから目的もあいまいだし見通しもいいかげんでしかない。
 たとえば、護送船団方式がいけないという学者が何を根拠にしているかというと、グローバリゼーションと市場の競争原理である。後者に逆行するからぶっこわさないといけないという二者択一式の極めて単純な論理だ。単純だからテレビのような時間に制限のある媒体でいうと逆に分かりやすくなり、視聴者に広く受け容れられ支持されていく。そんな世の中に棹差すつもりはないが、私は護送船団方式が日本にとって不易で、グローバリゼーションなどは一時的な流行としかみなさない。
 戦後の日本人は何もない状態の中で汗水たらして働き技術に磨きをかけ国民所得を倍増して中産階級にのし上がった。敗戦国家日本が世界から恐れられるほどの技術立国国家、うらやましがられる中産階級国家に到達できたのは、護送船団方式に守られることで家族を抱える労働者が安心して仕事に打ち込めたからである。
 グローバリゼーションがなぜいけないか。一国でさえ景気の浮き沈みに苦慮するのだから、グローバリゼーションで世界が一つのシステムでつながってしまったら、最近起きたばかりの香港発世界同時株安のようにどこもかしこも共倒れになってセーフティ機能が働かなくなってしまう。日本がアンチ・グローバリゼーション指向を取り入れることは、逆にその分だけグローバリゼーションの危険性を軽減することになり、ある意味ではセーフティ機能を与えることになるだろうからきちんと筋が通っているわけである。
 資本主義の足りないところを社会主義で補っていた頃の日本は国民生活もゆたかで活発だった。市場原理主義へ純化を深めるにしたがって中産階級社会が崩壊に向かいワーキングプアを大量に生み出すようになった。シングルイシュー的な構造改革の弊害が現れ始めたわけだ。グローバリゼーションの欠陥を護送船団方式で補い、護送船団方式では孤立してしまうという限界点ではグローバリゼーションで切り抜ける、などというように常に反対概念と対置させながら最も適した答えを引き出すのが本当の構造改革である。仮に二者択一としても護送船団方式を選択するのは決して守旧主義ではない。