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2007年2月16日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第47回 「私の日本新聞博物館物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本抄録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」きょうは、「私の日本新聞博物館物語」


横浜には日本で最初が多い。1870年「横浜毎日新聞」発行、日刊新聞も横浜から。日本新聞博物館はその日刊新聞発祥の地横浜に2000年に開設された。新聞のことなら何でもわかる新聞専門の博物館でニュースパークとも言う。この博物館は横浜の歴史的な建造物である旧横浜商工奨励館を改築、改装した横浜情報文化センターの中にある。新聞の歴史、新聞社の仕組みや情報の大切さなどを学んだり、自分だけの新聞や広告をつくったり、子供からお年寄りまで楽しめる仕掛けがいっぱいで、自然と新聞について詳しくなれる。
新聞ライブラリーには日本新聞協会に加わっている各社の発行する日刊新聞が創刊号から収集、保管されていて調査や研究に使用できるのはもちろんのこと、自分の誕生日や記念日などの新聞をコピーすることができる。

 お蕎麦屋さんで手にした週刊誌を読んでいくうちに何かおかしな感じがした。
タレントのロマンスなのだが、週刊誌の表紙を見ると1年前のものだった。おかしな感じは当たりまえだ。その二人はもう離婚している。
 日本新聞博物館は創刊号からの新聞を読むことができる。少し前のことだが、取材でお邪魔した時に自分の誕生日の新聞を調べてみた。大昔の新聞を読んでいるようだった。物の値段が違う。広告も。レトロなどといえば格好言いが、古いこと,古いこと。「私はそんな古くないぞー」と新聞に向かって怒ってみる。
 同行したディレクターは、「帝銀事件知ってますか、僕は事件の翌日に生まれたんです」といい歳をしてはしゃいでいた。時間が経って、時差をつけて情報と出くわすのは、実は面白い。
 日本新聞博物館を訪ねた数日後、山下公園の陽だまりのベンチに座りウツラウツラしながら新聞を読んでいる。なにかおかしな感じがした。2月なのに「三ツ沢公園の桜満開、フレッシュマン花見の陣取りにおおわらわ。プロ野球、ベイスターズ開幕から6連勝」思わず日付を見ると4月10日。
 あれ、去年の新聞?!、と、もう一度日付を見る。2006年4月10日、どうみても今年のものだった。どうやら私は宝物を手に入れたようだ。それからが忙しかった。誰もが考えるように、ギャンブルの結果、競馬も競輪も結果を、未来の新聞は教えてくれる。連れ合いは、「生きてて良かった」などと大げさにいい、恥ずかしげもなく「新聞は俺のもの」と本性剥き出しで私から奪い取る。連れ合いのカッコ悪さをみる。
 ―――と。「フウーッー」とたんに夢から醒める。
 新聞も時間が経ってある程度結果が解った時点で読みなおすと面白いものだ。間違いの多いことにも気付く。何はともあれ、どう考えても未来の新聞なんてありはしない。何でも教えてくれる日本新聞博物館だって。

 今日の「私の日本新聞博物館物語」いかがでしたか。出演、小林節子 脚本、大多田純でおおくりいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに。


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