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2007年2月14日 (水)

横浜・明日への提言(22) 客観的評価と主観的評価

22

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 生活者の視点、国民のほうを向け、内閣支持率、果ては勝ち組・負け組に至るまで、政治家やマスコミが考えたキャッチフレーズや造語が氾濫する世の中である。私は言葉だけ踊るような風潮が嫌いだから耳をふさぐようにしているが、内閣支持率で政権が浮揚したり沈んだりする昨今の風潮だけは黙っていられない。
 内閣支持率は世論調査で弾き出される。では、その世論調査とは何なのか。それを知らずに勝手なことをいってはもうしわけないので、世論調査の専門家に説明を求めて驚いた。世界の社会学者の間では「世論などない」というのが定説だというのである。
 FMヨコハマにも大いに関係あることだが、視聴率調査についても「犬が見てても視聴率」という揶揄的な業界言葉があるそうだ。テレビの前にいるのはペットだけでも測定機器のスイッチが入っていれば記録紙にカウントされてしまう。それはさておき、視聴者の好みや満足度などの質的な反応を知る客観的評価手段がないため便宜的に視聴率を用いているわけで、必ずしも正しい方法ではないという。それが業界の常識といわれたときは正直驚いた。われわれはあやふやな評価に踊らされて一喜一憂しているわけだ。
 内閣支持率に話を戻すと、世論調査には量的調査と質的調査があるが、後者は善悪・良否・正邪などの判定が調査票質問文設計者の主観に左右され結果の判定が客観的でなくなるため、現在はほとんど用いられないという。量的な調査なら質的な吟味なしに世の中の動きや思潮を項目化してそれぞれに傾向を数値で測るだけだから、それなりに客観的な結果が得られやすい。
 「つまり、傾向を測るだけで、価値判断は含まないのが世論調査。仮にそれを世論というとしても参考に留めるのが本筋で、丸呑みにして従うなど愚の骨頂だ」
 長く生きてきて、これほど驚いたことはない。
 ミナト・ヨコハマについても、客観的というと輸出量がいくらいくらで世界第何位という数値だけ語られて、それが正確無比で不動の評価であるかのようにいわれる。港湾技術の優劣などは数値化できないし、判定できるセンスを持つ者が第三者にいないから、質的な評価は港湾関係者が自分で判定し、改善はもとより創意工夫に智恵を絞り実現に汗を流す。それがミナト・ヨコハマの流儀だ。世論調査の何たるかを聞いてから、私はますます主観的な評価を大事にし、われわれがかくあるべしと信ずるミナト・ヨコハマにしていこうと強く決意した。
 FMヨコハマについても同じことがいえる。どこのだれが何をいっているかもわからない数値だけの視聴率・聴取率などより、地域に密着したエフエム放送に深い愛着を持ち明確な好みから発せられるリスナー個人の意見のほうがはるかに尊い。
 そこで結論、これからの日本と横浜に必要なのは、脱数値的評価による方向性を見出す努力だろう。それができたら、個性的な都市が日本のあちこちに出現し、当然、真っ先にこころがけた横浜が最先端を行っているはずである。