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2006年11月10日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第33回 「私の横浜国際総合競技場物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本抄録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」きょうは、「私の横浜国際総合競技場物語」

2002FIFAワールドカップの決勝の舞台となった横浜国際総合競技場。1998年に完成し、日本最大規模の7万2千人を収容する屋外多目的競技場である。音楽コンサートも数多く開かれ、また,Jリーグ・横浜F・マリノスのホームスタジアムとして使われている。05年3月より日産自動車が命名権を取得して「日産スタジアム」と改称された。
ここで定期的に行われている「ワールドカップ・スタジアムツアー」は世界最高峰の舞台を戦った選手たちと同じ目線でスタジアムを楽しめるというイベントで、ヴィクトリーロードではワールドカップのテーマで使われた入場音楽につつまれ、フィールドへ。まるで試合に臨む選手になったかのような気分が臨場感たっぷりに味わえる。

 久しぶりの横浜国際総合競技場だった。三ツ沢競技場の近所に住んでいたという縁もあってサッカー観戦は趣味のひとつ。三ツ沢の応援風景もかなりのものだが、3年前の横浜国際総合競技場は、雰囲気が違っていた。
 世界が注目するワールドカップの決勝戦。時間は瞬く間に過ぎ、ピッチを切り裂くように、鳴り響く試合終了の笛。「神様ありがとう」優勝の瞬間、黄色いユニフォーム背番号9のロナウドが夜空にむかって十字を切った。スタンドが波を打つようにどよめき、私の耳にサンバのリズムがクローズアップしてくる。
 この日、久しぶりに競技場を訪れたのも、あの興奮と感動を再びという「ワールドカップスタジアムツアー」が開催されていると聞いたからだ。それにしても、間が悪い時はあるもの。出掛けに連れ合いが「ブラジルのサッカーもこれじゃあーな」と私に新聞を手渡した。「八百長に揺れる・サッカー王国ブラジル」と大きく活字が踊っている。全国選手権を舞台に八百長事件が発覚、違法なサッカー賭博に絡み審判が逮捕されたというのだ。一方のチームから不当にペナルティーを取ったり、選手を退場させたり、意図的に相手チームを勝たせた疑いがもたれている。これでは、選手は勿論、ファンも可哀想などと話しているうちにスタジアムについた。
 ピッチへ向かう階段を登るといきなり目の前に広がる美しい芝と7万2千人収容の観客席。ブラジルロッカールーム。2002年6月30日、決勝戦当日の姿そのままに再現されたカブラジル代表のロッカーだった。選手が残したサインや優勝を予言する数字が書かれたホワイトボード、黄色いユニフォームがずらりと並ぶ。その自信に満ちあふれた威嚇的にも映る光景は八百長騒動で揺れていた私の心をそっと鎮める。どこかでサンバの音がきこえて来た。ブラジル代表・セレソン(選ばれし者)の華麗なプレイがよみがえってくる。

今日の「私の横浜国際総合競技場物語」いかがでしたか。出演、小林節子 脚本、大多田順でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・。

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