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2006年9月29日 (金)

横浜・明日への提言(13)登竜門と檜舞台

13

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。) 


 選挙の声を聞くたびに思うことは、どういうわけか横浜にはこれはという人物がいないということだ。こうした傾向は政治家に限らない。文化・芸術・科学に視野を広げれば一層お寒い現状である。こうしたシチュエーションは横浜だけというよりかは「全般に地方は」と置き換えていうべきだろう。
 卓越した才能はみな若いうちから東京へ流出してしまう。
 すなわち、人材の東京集中――要因はそこにある。いないのではなく、いなくなってしまう。これこそ由々しき問題だ。
 では、どうすれば、人材の流出を防ぐことができるのか。
 というよりも、なぜ、東京に人材が集中するのかということだ。東京は京都などに比べれば歴史的に新しく、文化財の蓄積でもはるかに及ばない。だから、歴史・伝統の問題ではない。
 科学文明は最近百年の間に人類の歴史数億年をしのぐ長足の進歩をとげて、あとは再び遅々とした歩みに戻るという。この百年の歴史にかぎれば東京がすべてにおいて檜舞台であった。歴史の長さではるかに勝る京都がぽっと出の東京に及ばない原因がそこにある。ましてや、歴史も伝統もはるかに新しい横浜においておやである。
 檜舞台で活躍するには、当然、登竜門がある。経済的に裏打ちされた各分野の各種新人賞、育成機能の確かさ、これこそ卓越した若き才能が東京をめざす最大の原因であった。次から次へと新しい人材を掘り起こし、檜舞台に登壇させ、スポットライトを当ててきた。
 さらに檜舞台で活躍する俊秀中の俊秀には最高の栄誉とされる各種の賞が用意されている。東京に集まった人材が東京に留まるゆえんであろう。東京の底力の根源はそこにあった。
 しかし、バブル崩壊で経済的な裏づけが怪しくなってから、東京は登竜門、檜舞台とも制度疲労を起こし、名のみの華やかさに陥った。形骸化が進んだのである。
 東京の文化的ピンチは横浜のチャンスだ。
 タイミング的にも横浜は開港150年という歴史的節目を迎える。それにふさわしい登竜門を設け、真の人材が横浜に志を抱くような仕掛けを考えることのほうが、お決まりの地方分権論議などよりはるかに現実的でインパクトがある。