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2006年9月14日 (木)

横浜・明日への提言(12)スキンシップ・デモクラシー

12

横浜エフエム放送株式会社
代表取締役社長 藤木幸夫

(現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表、がん医療と患者・家族を支援する会会長等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)
 
 前回紹介した銃器・薬物水際排除推進協議会は官民が一体となって仲よくやってきた。各省庁の出先機関と港湾関係団体が横一列に並んで一つの目的を達成しようとする姿は、これぞスキンシップ・デモクラシーといえるものだ。保安委員会のほうもスキンシップ・デモクラシーでうまくいっている。前々回提言を試みた「ミナト・ヨコハマ特別市」もこうした横浜独特の人間関係を土台に発想したものだ。
 FMヨコハマ生みの親といってもいい故・秦野章元法務大臣は、「民主主義の中の独裁がデモクラシーの理想だ」といった。自由・平等は民主主義でしか実現しない。秩序を保つには独裁のほうが断然すぐれているが、歯止めが利かなくなる欠点がある。だが、民主主義の中でよい意味での独裁が実現できれば両者が並び立つ。私も同感だ。ただし、私が考えるのはスキンシップ・デモクラシーを土台にした独裁である。横浜港の保安委員会がうまくいっているのはスキンシップ・デモクラシーが浸透しているからだと思う。
 350万都市ではスキンシップ・デモクラシーは物理的に不可能である。したがって、独裁もあり得ない。しからばどうしたらよいか。都市分割も一つの方法論だろう。平成の大合併が進むときだけに、逆の発想がきらりと光る。都市分割が無理だとしても、市長選挙とは別に地元のシンクタンクを集め、あらかじめ「提言集団」をつくるのも一つの選択肢として考えられる。だれが市長になっても困らないという骨組みをつくっておけば、悪い意味での独裁に「待った」をかけられる。選挙のたびに候補者選びで悩まないで済む。こちらのほうが横並びの人間関係になじんできた横浜の肌に合うかもしれない。
 ところで、横浜はシンポジウムが多いところだ。毎日のようにあっちでもこっちでもシンポジウムが開かれる。やれともいわないのに開かれるし、やれとけしかける者もいない。だから、よい提言が行なわれても内輪の賛同だけで終わってしまう。
 問題は提言集団の質、提言の取捨選択である。当然それらに対する質的淘汰の仕組みが必要になる。これができたら「横浜はじめて物語」の一つになる。よそが考えつかないうちにやってこそ「初めて」といえる。遅すぎるといってもよいくらいに、やるときにきているのではないか。