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2006年7月14日 (金)

横浜・明日への提言(8) 横浜ファッション(流儀)をつくろう

08

横浜エフエム放送株式会社 
代表取締役社長 藤木幸夫

(著者紹介:現在、藤木企業株式会社 取締役会長兼社長、 株式会社横浜スタジアム取締役会長、横浜港運協会会長、神奈川県銃器薬物水際排除推進協議会会長、神奈川県野球協議会会長、社会福祉法人希望更生会理事長、小さな親切運動神奈川県本部代表等の役職にあり、平成元年4月に藍綬褒章受章、平成10年11月に横浜文化賞を受賞。)

 
 歴史をひもとくと、日本の開国当時、欧米社会は礼節・儀礼・教養を重んじた。武家社会を根幹とする鎖国日本には、尊皇思想という精神的革命の風が起きていて、天皇を頂点にした精神的秩序が再構築されつつあった。すなわち、日本を欧米の侵略から守ったのは台場でも大砲でもなく、日本人の高度な礼節・儀礼・教養だった。
 安政3(1856)年、伊豆下田に着任した文官ハリスは交渉相手の下田奉行、日常接する住民の姿から滲み出る日本人の美風に圧倒され、英仏艦隊が到着する寸前まで誇りを持って文官外交を貫いた。日本が欧米の植民地にならなかった原因は実はそこにある。
 昭和20年8月15日、日本人が初めて知った敗戦のショック――日本を占領しにやってきたマッカーサーは、日本の伝統的な精神文化に惚れ直し、日本を南北に二分して好きなように支配しようと持ちかけたロシアに「ユー、ファイト(やるか)」とすごんで、その野望を砕いた。そのお陰で、日本人は衣食住に不自由しながら文化国家を唱え、あらゆるものに「文化」の名を冠して復興に立ち上がることができた。文化住宅、文化包丁、文化何々という具合に……。
 ところが、ソニーがトランジスタラジオを発明して世界中に売りまくってから、日本は高度経済成長の波に乗って、あらぬ方向へ走りだした。日本が「文化国家」をやめて「経済大国」を唱えると、学校教育は右へ倣えして世界に冠たる礼節・儀礼・教養を教えなくなった。国民的規範を教わらずに育った若者は糸の切れた凧みたいに方向定めず、経済オンリーの社会を野放図に漂い始めた。
 現在、教育基本法の改正が国会で議論され、愛国心がうんぬんされているようだが、私には見当違いなことをしているように思われてならない。愛国心は礼節・儀礼・教養を身に備えた結果である。G(義理)N(人情)O(恩返し)を古くさいという人間に愛国心が芽生えるとは思えない。GNOには平和、信頼、友愛、思いやりなどありとあらゆる精神的規範が含まれる。普遍の精神的資産が古びて廃れるはずもない。さりとて、私は日本を論じる立場にないから、せめてもミナト・ヨコハマだけでもおかしな風潮に毒されないように心がけてきた。だから、ミナト・ヨコハマには勝者もいなければ敗者もいない。最近10年の間に倒産した会社は皆無だし、すべてが中産階級のままでいる。
 みんなが中産階級でいられること、それがベストではないとしても、現実的にはベターだと私は信じている。日本人1億の8割が中産階級であった頃は世の中が明るかった。開港150周年を控えて、横浜の将来に必要なのは何かといえば、「横浜といえばGNO」とだれもが認めるような精神的規範を横浜市民が共有し、礼節・儀礼・教養を個人のファッション(流儀)にすることではないか。