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2006年6月16日 (金)

ヨコハマ ストーリー  第12回 「山下公園物語」

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ヨコハマストーリーは、FMヨコハマで2005.4.5~2006.3.26(毎週日曜日 出演:小林節子)に放送された番組の脚本再録です。

魅力あふれる街、ヨコハマ。
この街が世界の表舞台に登場したのは今からおよそ150年前。ペリー艦隊が来航した時からその歩みは始まりました。そして今もヨコハマはユニークな街であり続けています。そんなヨコハマの由緒あるスポットを舞台に、物語と音楽で紡いでいく「ヨコハマ・ストーリー」今日は、『私の山下公園物語』。

  横浜で最も有名な公園「山下公園」。1930年に日本初の臨海公園として関東大震災きっかけに誕生した。復興事業として波打ち際に捨てられていた焦土や市内の瓦礫、焼け跡のレンガなどが埋め立てに利用された。1935年には復興記念横浜大博覧会が開かれた。今で言うパビリオンが立ち並び、およそ323万人を集め賑わった。1990年には東側がリニューアル整備された。バルセロナのグエル公園を思わせるカスケードのある楽しい階段や幾何学的な滝や水路などが作られ、新しい魅力が加わった。

 「お母さん、何か飲み物買ってくる」と言って娘は私と荷物をベンチに残して走っていった。二人で元町で買い物をして山下公園でひと休み。そこに主人が合流して夕食を食べる。こんな過ごし方が月に一度の習慣になったのはいつからだろう。私は横浜市の花である薔薇が咲き誇るこの季節の山下公園がことのほか好きだ。
 いつもの海に面したベンチに座って娘を待つ。そんな慣れ親しんだシーンもあと数回。「この秋に結婚したい」と、ボーイフレンドを連れてきた時は私も主人も驚きを隠せなかった。わがままいっぱいの娘が、誰かのために生きたいと思うようになったのかと、喜びと不安で複雑な気持ちになった。
走っていく娘の後ろ姿を見ていると、なぜか母の事を思い出した。その昔、母と二人でこの公園に来たのは桜の季節。
 母は海を見ながら「昔、私もおばあちゃんとここに来たことがあるのよ」と話し始めた。祖母は常に祖父をたて親を敬うことを重んじていた。そして祖父が起きる前に薄化粧を済ませ、どんなに帰りが遅くなっても、必ず起きて待っている・・・そんな人だったのだ。関東大震災そして戦争。その都度全てを失いながらも家族を愛し守ってきた人。この山下公園で『何があっても旦那様を敬い、家族を愛し、守れる強さを持つのよ』と母に言ったそうだ。母は私にそこまで話すと黙ってしまった。その言葉は嫁いでいく私へのメッセージだったのだろう。
 汽笛が鳴り我に返った時、主人が声をかけ隣りに座った。そういえば二人が出会った頃もこの公園に薔薇を見に来て、他愛もない話をしたことがあった。
「あの子が嫁いで二人になっても、また一緒に来ましょうね。」と言うと、何も言わずに主人が微笑んだ。「お父さーん!」娘が駆け寄ってきて「今日は何を食べるの」といつもの元気な声で言った。

今日の、『私の山下公園物語』いかがでしたか。 出演、小林節子 脚本、浮田周男でお送りいたしました。「ヨコハマ・ストーリー」また来週をお楽しみに・・・

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