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2018年7月 4日 (水)

滝ともはるの横浜の夜は眠らない2018年7月2日

今回のゲストは、JR関内駅前[CERTE]11Fにあるライブハウス【ハート&ソウル】のオーナー・原正行さんでした!

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ライブハウスのオーナーもをやりながらシンガーソングライターというのは、滝ともはるさんとも共通点がおありです。そんな原さんも参加して頂いた名物コーナー「クイズ横浜」おさらいです。

番組をお聴きになった方、聴いてない方も御一緒にお考え下さい

答えはこのコラムの後

(これであなたも横浜通)

今や一大観光地にもなった横浜を代表する山下公園。

カモメが飛び交いいかにも港ヨコハマを象徴するモダンな公園ですね。

 

ここでクイズ横浜第一問です

この山下公園ができるきっかけは今考えるととっても悲しい出来事が原因だったのです。

昭和5年3月にこの公園はできましたが、それをさかのぼること7年前、大正12年9月にある大事件が起こりました。

その事件とは何だったのでしょうか?

ヒント

横浜の街が崩壊したのは今まで2度あったそうです。

一度は太平洋戦争の横浜大空襲、もう一つがこの事件です

横浜を元気にしようと『復興記念横浜大博覧会』が昭和10年、山下公園を中心に開催されました。

来場者は、のべ320万人に達し横浜市内で開催された戦前最大のイベントとなりました。

正面に飛行機と戦車を描いた陸軍館と海軍国防館など戦時色の濃い内容だったのですが、人気は特製のハリボテの名古屋城、真珠採りの海女館(あまかん)、カーボーイの曲乗りや投げ縄、オートバイサーカスなどでした.

Photo

 

クイズ横浜第2問です

さてこの博覧会で一番人気になったのはなんだったでしょうか?

とにかくこの大きさに驚いたようです

ヒント

話には聞いたことはあるけど実際に見たことはない、これ魚?動物?というので大人気だったそうです。

 

さて山下公園にはいろいろな記念碑が立っています。横浜市民には人気のある記念碑ですがここにもある悲しい話が残っています。

ここでクイズ横浜第3問です

この記念碑はある歌を記念してたてられました。詩を書いたのは有名な詩人野口雨情(うじょう)。

彼が北海道の新聞社に勤めていた時の同僚の鈴木志郎さんという人から、「自分の再婚の妻かよには実は小さな娘がいて、自分たちが北海道の開拓に参加した時に娘は育てられないと東京在住のアメリカ人の宣教師に預けたそうです。

その宣教師もアメリカに帰り、今頃異国のアメリカで娘は暮らしている」という話を聞いてこの歌を書いたそうです。

さてこの悲しい曲のタイトルはなんでしょうか?

ヒント

この曲の名前がついたバスが横浜を走っています

第一問答え

「関東大震災」

マグニチュード7.9、震度6。

震源地は相模湾北西部。

山下町では洋館が一斉に倒壊。

防波堤は地中に沈み、灯台は水没して見えなくなったそうです。市内289カ所から火が出て、その猛火は横浜市内をのみこんだそうです。

この山下公園は横浜復興を願ってその震災の瓦礫(がれき)処理と、再び災害があった時の避難所にもなる公園をつくる目的で建設されました。波打ち際に捨てられていた土、元町の瓦礫、山下町の焼けた煉瓦などを埋め立てに利用。市民の多くが荷車を引いて工事に参加しました。

 

第2問答え

「生鯨館(なまくじらかん)」

山下公園先の海を囲って鯨を泳がせたようです。でも飼育環境が悪かったのかすぐに死んでしまっ何度も入れ替えたそうです。

第3問答え

「赤い靴」

しかしこの話には悲しい後日談があります。実際には病気になった娘はアメリカには連れて行けずに、孤児院に預けられ、その後わずか9歳でこの世を去ったそうです。

北海道の鈴木夫妻の三女が「赤い靴のモデルは私のお姉さん」と新聞に投書したことから北海道テレビが1978年にドキュメンタリー番組を制作して事実が明るみに出ました。

赤い靴を履いていた女の子は異人さんに連れられて船に乗らなかったのですね。

 

勉強になりましたか?

早速、他のかたに自慢してみてください

番組では毎回横浜の面白いトリビアご紹介していきますね。


 
This program is brought to you by CERTE.
月曜日の深夜は『横浜の夜は眠らない』をお聴き逃しなく♪
  
お聴き逃しの方は、次回の放送開始まで「radiko.jp」で視聴可能です。
http://radiko.jp/

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