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2016年6月10日 (金)

レモンケーキの独特なさびしさ

表紙 購入
エイミー・ベンダー 著
管啓次郎 訳
角川書店
2,200円(税別)
ISBN978-4-04-110485-9

ママが作ってくれたレモンケーキは、おいしいのに、うつろでからっぽな味がした…何かを食べるとそれを作った人の感情が分かる能力を得てしまった少女ローズ。寄り添ってくれたのは、無口な兄ジョゼフの親友・ジョージだった。母の浮気、ジョゼフの秘密、平凡に見える父、そしてこのやっかいな能力と共存していかなければならない、私。家族と自分の複雑さを見つめ続けるローズの語りに惹きつけられる長篇小説。もの悲しくも幻想的なある場面がいつまでも心に残ります。

コメント

books AtoZ を毎週とても楽しみにしています。この本も北村さんの解説を聴いて、高校生の娘が興味を持っていました。
活字が遠のく年代ですが、このコーナーのおかげで本を手にする機会が増えています。これからも、たくさんの本を紹介してください。(本を読んだ感想ではなくすみません)

クミさん、毎週聴いて下さってありがとうございます!
高校生の娘さんが興味を持って下さったとのこと、とても嬉しいです。なにかちょっとでも、ちらっとでも気にしてもらえたら、それだけでこのコーナーをやっている甲斐があるというものです。そしてこうやって励ましの言葉をいただけることで、次回の放送へのモチベーションとエネルギーが高まります。
これからも、続く限り自分がいいと思う本をご紹介していくつもりです。ぜひ、またコメントお寄せください。ありがとうございます!

いつも通勤電車の中で聴かせていただいています。
電車の中ですので、途中途切れ途切れになることもありますが、
一生懸命イヤホンを耳に押し当てて聴いています。
先週のレモンケーキの本も今週の偽詩人の本も続きが早く知りたくなりました。今仕事が忙しいので、読書に多くの時間が割けませんが、夏休みのお楽しみに「読みたい本リスト」を作成中です。
これからもこのコーナーを楽しみにしていますので、どんどん素敵な本をご紹介ください。

アップル18さま、聴いてくださって本当にありがとうございます! 励みになります。
わたし自身もいつも思っていますが、本を読む時間ってなかなか作れませんよね。5分10分ではなく、ある程度長くて、ある程度集中できる環境で、となると、たとえば「今日の昼休みは本を読む!」と決めなくてはならないみたいなところ、あると思います。もし、夏休みにお時間が取れましたら、気になる本、ぜひ読んでみてください。
コメントとても嬉しかったです💗これからもどうぞよろしくお願いいたします。

(ちなみにこの『レモンケーキの独特なさびしさ』ですが、瑕疵というか、とても気になることがあるのです。もしお読みになった方がいらっしゃったら、感想お寄せください。お待ちしています)

番組でこの本の紹介を聴いた時、胸が苦しくなりました。
10年ほど前、ちょっとしんどい時期があり、私は普段通りに食事を作り子供に接していたつもりだったけれど、本当にそうだったのか、振り返ると自信がないのです。
子供は私の事をどう見ていたんだろう。毎日食事の支度はしていたけれど、それはどんな味がしていたんだろう…。
両親の不仲や母親の秘密をローズは敏感に感じ取ってしまう。それにはまだ幼すぎたローズが、苦しみながら成長していく姿は希望が感じられレモンのような清々しさがありました。
比べて、ジョゼフのこの世界への拒絶は哀しいですね。
私もこの作品が映像化されたらぜひ見たいと思います。
私は映画やドラマのラブシーンはあまり好きではなく、ここでそのシーンいらないでしょ!と思ってしまうタイプなのですが(笑)
33の章の最後の場面はとても美しく感じられ、こんな体験ができる人は実はそんなにはいないんじゃないかと思ってしまいました。

北村さんが「気になること」と仰るのと私が感じた事が同じかわからないのですが、なんというか、中学の英語の教科書に感じた違和感のようと言うか…ストレートに訳したらそうなのだろうけど(偉そうですが)、ちょっとニュアンスが違うというか、別の表現の仕方があるのではないかと思う箇所が結構ありました。???が頭の中に積み重なっていきながら読んでいました。


とまとさん、感想ありがとうございます!
ジョゼフの秘密の場面(としか書けませんが)は、映像にしたらきっと静謐で美しいだろうな、そしてかなしいだろうな、この場面に合わせる音楽も、どんなものがいいんだろう、歌いあげるようなものじゃなくたとえばチェロ1台の、無伴奏とか……そんな風にぼんやり想像を広げるのが心地よい1冊でした。

わたしの「気になること」は……そうなんです。たとえば「ママ」と「母」、「パパ」と「父」の両方の表記があって、どうも意図的に使い分けているわけではない感じがすること、「ひとりの男の人がグラスに鼻をつっこみ、あるボルドー・ワインに彼が感じた革のような切れについて滔々と語っていた」のような文章(「革のような切れ」って?)が散見されたりすることがすごく残念だったんですよね。特に最後の1ページ。ひと昔前の「ただ読みづらい翻訳」に陥っているような気がしてなりませんでした。昔の翻訳ものってこういう文章多かったよなあ……と。
ほんとにここ2、30年で、海外小説の翻訳ってぐっと素晴らしくなってきたと思うんです。それだけに、そして内容が良かっただけに、訳文に関してもう少しチェックして欲しかったなあ、と偉そうなことを思いました。

この本は読み終わるのに1ケ月半近く要しまして、僕としては相当長かったです。
理由は、まずは僕自身の問題として、仕事に忙殺されていて本を読む余力がなかった(とにかく残業続きで目が疲れてた)。
そのうえさらに、僕とこの本の相性だと思いますが、読み辛かったんです(偉そうですがtoo)。
1センテンスの中での主語、述語、比喩といった「文章の構成要素(言葉)」が、僕の読みやすい順序に並んでいない事が多くて、ん?え?という場面が多かったのです。「ママと母」の件は僕も早々に気になっていて、その意図を想像するのに寄り道してもいました。こういった僕にとっての読み辛さは、ローズの精神状態の不安定さを表しているのだな、と自分にいいように解釈して読み進みました。
また、9歳の頃のローズがママやパパに対して内心で達観したような事を語るところが多くありますが、いくら回想とは言え9歳でこんなませた事を考えるのか?と不自然に感じたり。パパとママがローズのことを「きみ」と言うのも馴染めませんでした。
でも、35の章でローズが働き始めたあたりからは、スムーズに読めるようになってきました。それまで周囲に翻弄されていたローズが、周囲と同調してうまく着地し始めたように感じました。それに前述のませた発言も年相応になってきた。それが理由かな、と。
28の章以降のジョゼフのことで、ローズは成長したと言うか一皮むけたように感じました。あんな事を経験したからと言ってしまえば簡単ですが、もっと違う理由ではないか。こじつけかもしれませんがパパとジョージとレストランで、スープを食べてから、と思っています。この3人の食事の場面、好きです。
ローズは、はっきりしている子ですよね。同年代の子をばかみたい的にみている節もあれば、自分の不幸な能力のせいで偏った物しか口にできなくてもその偏った物に感謝している。何から何まで非難、悲観しているわけではない。意外と素敵な子だと、だんだん感じてきました。意外と、は余計でしょうか。
全体を通して、ローズとパパの会話の場面が数度ありますが、どれも好きです。会話を通してお互いを理解し、自分も成長(変化)しているように思いました。
ローズもママもパパも誰も彼も、僕もあなたも、惑星が楕円を描いて回っているように、不規則に近付いたり離れたりしながら生きているんでしょうね。ジョゼフのように一直線に遠くに向かっていく彗星のような人もいるし。自分が変わればすべてが好転するわけじゃない、なぜなら相手も変わっているから。追いかけっこみたいなものだ。だから、日食とか月食のように「人との関係のタイミング」が合えば、そりゃ素敵だよなぁ、そんな事を考えました。ラストのローズからジョゼフへのお願いも、それまでの関係を超えたお互いの愛情が感じられて、すごく温かい場面ですよね。
いや、それにしてももう一言。309ページのローズのせりふ「何ですって?」は、役割語的に変! 「え?」でいいじゃん。311ページのパパ「・・・わかるの?」も、「・・・わかるのか?」なら、これはパパのセリフだとすぐに分かって、もっと読み易いと思うのですが、、、。
どうでしょうか、北村先生????

〈こじつけかもしれませんがパパとジョージとレストランで、スープを食べてから、と思っています。この3人の食事の場面、好きです。〉

わたしもこの場面、好きです。わたしもハジメさんのように、ローズがパパと話すシーンはどれも好きですね。ジョージの結婚式から帰って来たローズがパパと話すところは、物語の中のクライマックスでもありますよね(でも、やっぱり「へーい」が気になる。ローズもジョージも「へーい」なんですよねえ。「ねえ」とか「やあ」とか、ありそうな気がするんだけどな……)

〈自分が変わればすべてが好転するわけじゃない、なぜなら相手も変わっているから。〉

本当にそう思います。相手は変えられないから、自分が変わらなきゃ。人生の中ではそういう風に考えないとやりきれない(やっていけない)ことってあるんですけど、実はそうではない。でも自分が変えられるのは自分だけなのだから……となる。もしかしたらママは、そのぐるぐるの最中にいたのかもしれない。そしておっしゃるようにジョゼフは(ゆっくりだけれども)「一直線に遠ざかる」人ですね。

役割語の「ゆれ」がひっかかると、醒める部分は確かにありますね(「何ですって?」は相手をなじるとか、詰問するときの言葉のようにも思えます)。「きみ」は、話者のキャラクターを感じさせたりもする(子どもを対等に扱っている感じもする)ので悪くないと思うんですが、両親がともにローズに対して「きみ」と言っているのはどうなんだろうか、とか。なんとなくどこの家も、父親と母親の、子どもに対する呼びかけの言葉はそれぞれ違うような気がするんですよね。
でも、もろもろすべて、編集者がオッケーを出したということなのだな、と思います。

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