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2016年6月 3日 (金)

癌だましい

表紙 購入
山内令南(やまうち・れいなん) 著
文春文庫
470円(税別)
ISBN978-4-16-790033-5

向上心や見栄を持とうともせず生きて来た、食欲の権化のような巨体の女・麻美。「職場の癌」と呼ばれていた彼女は、45歳でステージ4の食道癌と診断される。手術にも治療にも一切関心を示さず、飲みこむのが困難になっても食べ続ける麻美の食への執着を時間を巻き戻して描き出した表題作と、著者の死後発表された「癌ふるい」の2作を収録。闘病ものとはまた違った、凄まじいエネルギーの発露に圧倒されます。

コメント

読みました。

こんなに食べられないものなのか。なんてことだ。知らなかったです。

麻美は自分とは違うモンスターと思って読み進めていたので、小さなランチジャーを洗うシーンあたりから、ちょっとビックリ。そしてそこからはむしろ麻美の、いわゆる世間の常識がポンと抜け落ちているところ、それがゆえの脳天気さが書かれていて、自分もこのくらい常識知らずで、自分が正しいと思って、しかも耳もかさずにきましたよ。むしろ自分に似ているではないか。この時系列は唸りました。

浩子さんがおっしゃったように描写はすごいですが、清々しく、死の寸前でも笑える隙間があって、あぁ、人は死の瞬間までそうやって生きて良いのだ、と言ってくれているようで、好きです。


三途の川、私も昔聞かされました。戻ってきた武勇伝。

あき子さん、早速読んでくださってありがとうございます!

わたしは、最初の数ページを読んだとき「あ、自分はこうやって死ぬかもしれないな」と、ほとんど直感的に思い、体臭と汚れと嘔吐物の匂いが充満しているであろう麻美の家がものすごく近しいものに感じられたんです。よく、死は平等、誰だってひとりで死んでいくんだとか言いますが、いやいや「死」にこそ差異があるんじゃないの、とわたしは常々思っています。惜しんで、気にかけて、泣いてくれる人がいるか。死の淵にあるとき、傍に誰かがいてくれるか。これってすごく大きな違いだと思います。そしてそれは当然、その人がどんな風に生きて来たかを如実に反映するのだとは思いますが、わたしはもしかしたら麻美のように死ぬことが決定づけられているのかも、と(勝手に)思ったとき、泣いて、惜しんで「くれる」人がいなくてもそりゃあ当然だわと思っているような、こうやって小説の世界を通じて自分はシミュレーションしていくのだなと分かった気もしたのでした。

麻美の、いろんな意味での社会性のなさは、実際にこういう人が近くにいたらあーあの困った人ねーと言いたくなるのでしょうが、あき子さんおっしゃる通り自分に近いところも感じられて、そういう部分でも笑ってしまいました。こういうタイプの笑いが、わたしはとても好きです。

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